大判例

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名古屋高等裁判所 昭和37年(ネ)152号 判決 1967年7月19日

控訴人(被告) 東海財務局長

訴訟代理人 青木義人 外六名

被控訴人(原告) 富士山本宮浅間神社

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人の昭和二七年一二月八日附東海財管一第一六二七号による被控訴人に富士山八合目以上の土地のうち一、一七六、〇七六坪九合五勺の土地を譲与しないとの決定は、別紙目録記載計三八、〇五三・四八平方米(一一、五一一坪一合八勺)を除き三、八四九、八〇四・一九平方米(一、一六四、五六五坪七合七勺)を譲与しないとの部分を取消す。

被控訴人のその他の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審ともこれを一〇〇分しその一〇〇分の九九を控訴人、その一〇〇分の一を被控訴人の負担とする。

事実

当事者双方の事実上の陳述及び証拠関係は左記に附加訂正する外、原判決摘示事実と同一であるから、ここにこれを引用する。

(甲)  控訴人の主張

本事件の争点は二つある。一つは富士山八合目以上(既に譲与した分を除く。以下この例による)が被控訴神社の神体山として宗教活動を行うに必要な土地であるかどうかということであり、二つは富士山八合目以上を国有として存置すべき公益上の必要があるかどうかということである。

第一社寺上地の意義

富士山八合目以上の土地は被控訴神社に譲渡されるべきだという被控訴神社の主張は、被控訴神社が八合目以上の土地についての実質上の所有者であるということを前提とする。すなわち、富士山八合目以上は明治以前は被控訴神社の所有する土地であつた。それが明治初年の社寺上知(地)令によつて国有地に編入せられたが、右は国が被控訴神社のために預り保管しているに過ぎない。そして、このように国において被控訴神社のために富士山の八合目以上を保管することが、新憲法で禁止された特別利益供与にあたるならば、これを解消することはその所有権を被控訴神社に返えす以外に方法はない、という立論になる。

しかし、社寺領上地は、明治四年正月五日の太政官布告によつても明らかであるように「諸国社寺由緒ノ有無ニ不拘朱印地除地等従前之通下置候処各藩版籍奉還之未社寺ノミ土地人民私有ノ姿ニ相成下相当ノ事ニ付今般社寺領現在ノ境内ヲ除ク外一般上知(地)被仰付」られたものであつて、決して社寺の土地を国が預り保管する意味で上地せしめたものではない。社寺領を上地せしめたのは明治初年の政治的、社会的、財政的必要から免租地を減らし国有地を増やすためにとられた措置である。ただ、右上地の初め、境内外地の査定が社寺側にきびしかつたため、神仏分離にともない国教となつた神社は別として、一宗教団体として自立自営しなければならなくなつた寺院側から返還を求める要望が強かつたため、国は大正一〇年に旧国有財産法を制定してて、寺院境内地たる国有財産については当該寺院に永久無償使用権を認め、次いで昭和一四年には「寺院等ニ無償ニテ貸付シアル国有財産ノ処分ニ関スル法律」を制定して、無償貸付けをうけていた国有境内地のうち、宗教活動に必要な土地であつて、国土保安その他公益上又は森林経営上国有として存置を必要としないものは譲与を受けられる途を開いたのであるが、かかる措置は寺院の存続の基礎を安固ならしめるための保護政策としてとられたもので、寺院の上地した土地についてなんらかの既得権を認めたことによるものではない(国有財産の無償貸付、譲与の対象が上地された土地に限局されていないことを留意されたい)。殊に神社は祭政一致の立前から国の営造物とせられ、その境内地は旧国有財産法二条二号において国の事務又は事業等の用に供するものと同列に公用財産として取扱われていたものであるから、国家の存続と運命を共にするものと考えられていた神社側から上地にかかる境内地の返還要望は起る筈もなく、またそこに神社側のいかなる既得権も潜在する余地は存しなかつた。なお、本件土地は現在大蔵省の管理地である。

第二法律第五三号制定の理由並びに「譲与」の意義

法律第五三号は、新憲法の施行に当りその規定する政教分離の原則と宗教団体に対する特別の利益供与の禁止により、従来の社寺等と国家との間の財産上の関係を含めての特殊関係は新憲法の否定するところと解されるため、その財産上の特殊関係を廃絶し、両者の間にいわばその清算を行うために制定された。そして、その清算に当つては、従来の特殊関係の下に社寺の受けていた一切の権利利益を剥奪するのみにとどめることが新憲法の直接要請するところと認められない以上、かような清算方法、すなわち、従来社寺等が使用してきた宗教活動上必要な土地等をただ取り上げてしまうということは、社寺等の存立を危くするおそれがあり、もし、かかる結果を招来すれば、かえつて特定宗教に対する不当な圧迫として、新憲法の精神に抵触すると見られる面もあり、また清算に当つて、その土地等が社寺上地、地租改正処分によつて国有に編入されたものであること、また、国有になつた後においても、社寺等が無償貸付を受けこれを使用してきたという沿革を無視すべきではないのみならず、かかる沿革があること自体からして、宗教活動上必要なものを社寺等に無償譲与又は半額売払の措置をとつても、それは特定宗教に対する新たな特別利益供与というに当らないということができるわけである。

従来の特殊関係につきその権利性を強化容認し、または従来の特殊利益に対し補償するというが如き意味を持ち込むことは許さるべきことではない。

けだし法律第五三号は新憲法下の法律でありその趣旨を実施するためのものであるのに、右の持ち込みは新憲法の特別利益供与を禁止する規定の趣旨に沿わないものと考えられるからである。従つて同法律第一条にいう譲与は、明治初年の社寺上地等によつて適法に国有に編入した土地等を社寺等の自立自営のため必要な範囲に限り、従来の特殊関係の清算のための新たな立法措置としてなされるものであつて、社寺の権利性をその前提として是認し、国が預り保管していたものを返還する意味でなされるものではない。なお、譲与を国が預り保管していたもの、いいかえれば、返還義務があるものを返還するという意味に解さなければ合憲とはいえないという考え方に対しては、合憲というためには必らずしもそのような法律的関係の存在を必要とするものではなく、諸般の事情を綜合して、憲法にていしよくするものでなければ合憲といつて差支えない。国有境内地については、それがもと社寺等の所有に属していたのを社寺上地、地租改正処分によつて強制的に国有に編入したものであること、またそれが国有になつた後も社寺等に無償貸付して使用させてきた沿革があり、さらにこれを全部取り上げてしまうことは社寺等の自立自営が成り立たなくなるおそれがあるという諸般の事情を考慮すれば、その自立自営に必要な範囲のものを社寺等に返還しても、特定の宗教団体に対して特別の利益を供与することにはならないので、それは合憲であるといつて何ら妨げない。

またもし譲与を国が預り保管していたものを返還する意味、すなわち旧所有権の返還の意味に解しなければならないとすれば、宗教活動上必要なものでなくても譲与して一向差支えないことになるのみならず、むしろ譲与しなければ違憲ということになるのであつて、これからしても右解釈をとることができないことは明らかである。

要するに、法律第五三号制定の理由は、新憲法が政教分離の原則を掲げ、宗教団体に対する特別の利益供与を禁止したので、国と社寺との間の国有境内地の無償貸付関係は、これを廃絶し整理しなければならなくなつたことに基く。国より社寺に対して境内地の無償貸付を継続することは特別の利益供与として許されないから、これは断ち切らなければならないが、そのために社寺の存立を危くすることは、かえつて宗教に対する不当な圧迫として、これまた憲法の許すところではない。そこで、特別の利益供与ともならず、不当な圧迫ともならない範囲として、当該社寺の上地した土地で、無償貸付をうけていた土地の範囲内で、当該社寺の宗教活動上に必要な土地に限つてこれを譲与することとした。従つて「譲与」とは文字どおり無償の譲渡と解すべきである。

この点、被控訴神社は社寺上地によつて形式上も実質上も国有に帰した境内地を譲与するのであれば新憲法に抵触する。従つて、本法律にして合憲といいうるためには、「譲与」は実質的には国が預り保管していた境内地を社寺等に返還するものと観念せざるをえないと主張されるのであるが、特別の利益供与になるか否かということは社会的、経済的分野における事柄であるから、ことさらに法律的な権利、利益の観念を借りて判断しなければならぬ要はない。最高裁昭和三三年一二月二四日大法廷判決も「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律において、国有地である寺院等の境内地その他の附属地を無償貸付中の寺院等に譲与又は時価の半額で売り払うことにしたのは、新憲法施行に先立つて明治初年に寺院等から無償で取り上げて国有とした財産を、その寺院等に返還する処置を講じたものであつて、かかる沿革上の理由に基く国有財産関係の整理は、憲法第八九条の趣旨に反するものとはいえない」と判示して、譲与の合憲法を専ら社寺上地の沿革に求めているのであつて、寺院に返還を求めうる何らかの法律的権利、利益があるとは認めていない。

第三法律第五三号第一条(及び勅令第一九〇号第一条)該当の有無

一、宗教活動上の必要性の解釈について

(1) 法律第五三号は、新憲法が政教分離の原則を掲げ、また宗教団体に対する特別の利益供与を禁止したので、その善後措置として、社寺等の自立自営をはかるため、国有境内地のうち「宗教活動を行うのに必要なもの」に限りこれを譲与することにしたのであつて、同法律第一条にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」という要件は、宗教活動上必要なのは譲与し、そうでないものは譲与しないという意味で設けられたのであるから、それは単に収益財産だけを処分対象から排除する趣旨で、すなわち、消極的な意味で、附加加重された要件ではなく、それは積極的意義において理解されなければならない。従つてそれは当該土地等を所有しなければ宗教活動の目的を達成することができないものという意味に解すべきであつて、宗教活動に関連がある土地等はすべてこれを含むと広く解すべきではない。けだし、「宗教活動を行うのに必要なもの」をそのように広く解するとすれば、「宗教活動を行うのに必要なもの」というのは、旧国有財産法第二四条の無償貸付の要件と同じことになり、法律第一条が「現に社寺等に対し国有財産法によつて無償で貸し付けてあるもののうち、その社寺等の宗教活動を行うのに必要なもの」を譲与すると定めて特に宗教活動を行うのに必要なものだけを譲与することにした趣旨が没却されることになるからである。しかして宗教活動上、必要なものとして、どの範囲のものを譲与するかは立法政策の問題であつて、法律第三条の委任に基づく勅令第一条第一項においてその範囲を明示しているのであるから、専らそれによつて宗教活動上必要なものかどうかが判断されなければならない。

(2) 法律第五三号は実質的に見て返還の処置を講ずることを目的としたものではなく、また、社寺等に対する国有境内地の無償貸付関係を断絶しなければならなくなつたのは、新憲法が政教分離の原則を掲げ、宗教団体に対する特別の利益供与を禁止したからであつて、すなわちそれは新憲法の施行という一つの革命的な事態が生じた結果によるものであるから、故なく財産権を侵害したというようなものではないし、また財産権の侵害に対して平常の場合起きる補償という問題も生じようがない。問題はそれとは別に前に述べたように無償貸付関係断絶の善後措置として社寺等の存立を危くすることのないよう配慮しようとするところにその立法趣旨があるのであり、その趣旨を超えてまで措置するとなると、特別利益の供与として新憲法の趣旨に反する結果ともなりかねない。「宗教活動を行うのに心要なもの」の意義を言葉の本来の意味を超えてまで拡張的に把握することは、事の一面のみにとらわれた不当な解釈である。

(3) 宗教団体によつて儀式行事、信者の教化育成等本来の宗教活動のほか、慈善、教育、社会福祉等の公益事業が併行して行われることは今日一般の常識であるので、勅令第一条第一項第八号、第二項は、宗教活動にそれを包含してそれに必要な土地を譲与することにしたのであつて、それは宗教活動そのものをそのように広く取り扱うということであり、それとここでいう「宗教活動を行うのに必要なもの」の範囲如何の問題とは異るのである。従つてそれも右範囲を広く解する根拠となるものではない。

二、勅令第一九〇号第一条第一項第二号の解釈適用と神体山

(1) 勅令第一条第一項第二号にいう「宗教上の儀式又は行事を行うために必要な土地」というのは、同条第一項第一号にいう「本殿、拝殿、社務所、本堂、くり、会堂その他社寺に必要な建物又は工作物の敷地に供する土地」と同様、社寺等の物的施設を構成する土地であつて、それは宗教法人法第三条第四号の「宗教上の儀式行事を行うために用いられる土地」と同じく、儀式行事用地を指すものであり、従つてそれには信仰の対象が含まれないことは、常識に照らして明らかである。

(2) 仮りに「宗教上の儀式又は行事を行うため必要な土地」に信仰の対象が含まれるとしても、それはその対象を当該社寺等が直接支配していなければ儀式行事の目的を達成することができないというものに限られるのであつて、そうでないものは儀式行事を行うため必要なものとして譲与の対象とはならない。ところで富士山八合目以上は被控訴神社の御神体とされているけれども、その存在並びに山容に変更を来すことは考えられないのであるから、それを被控訴神社が直接支配しなければ同神社の儀式又は行事が行うことができないというものではない。従つていずれにしても富士山八合目以上が勅令第一条第一項第二号の儀式又は行事を行うため必要な土地に当らないことは明らかであるといわなければならない。

(3) 要するに法律第五三号は、新憲法が政教分離の原則を掲げ、また、宗教団体に対する特別の利益供与を禁止したので、国と社寺との間の国有境内地無償貸付関係を断ち切るとともに、社寺がその後、自立自営できるために必要なものは譲与しようとするものであるから、同法第一条にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」とは、当該土地を所有しなければ宗教活動の目的を達成することができないものに限られると解すべきである。しかしてその範囲は同法第三条により勅令第一九〇号第一条第一項各号が定めているのであるが同条が対象とするものは主として社寺が祭典、法要、儀式、行事等を行うに必要な物的施設を構成する土地に限り、また、こうした土地を所有できる限り宗教活動に支障あるをみない。

三、神体山と「宗教活動を行うのに必要なもの」

(1) ところで、問題は神体山が右にいるような「宗教活動を行うのに必要なもの」であるかどうかである。被控訴神社は富士山八合目以上の土地は御神体としてそれに密着した宗教活動を行つて来たから、該区域を所有しなくては被控訴神社の宗教活動の完璧を期し難いといわれるのであるが、該区域がいまだに国有である現在、被控訴神社の祭祀(開山祭、閉山祭)はそれがためにどのような障害を被つているのだろうか。そもそも信仰の対象の如きは人間の内心に属する事柄であるから、これを所有しなければ信仰が成り立たないものではない。従つて、富士山八合目以上が国有に存置されたからといつて被控訴神社の宗教活動に何らの支障があるとは考えられない。(宗教活動上必要なものであるかどうかは、当該宗教団体に属する者の主観を基準に判断すべきではなく、それは法の解釈としてあくまで客観的に判断すべきである。)

(2) 被控訴神社は、かつて国が富士山八合目以上の土地を被控訴神社の境内地に編入したのは、同地域が御神体として宗教活動に必要な土地と認めたからに外ならない。それなのに、法律第五三号の譲与の場合には宗教活動に必要なものとみないとするのは、前後矛盾するとして、明治八年の「社寺境内外区画取調規則」、明治三九年の「国有林野法ニ依ル境内編入出願ノ際取扱方ノ件」、昭和一四年の「宗教団体法施行令」における境内地に関する規定と、昭和二二年の勅令第一九〇号の第一条第一項各号の規定とを比照される。しかし、これらの法令の文言が相互に類似していても、その立法目的の異なるに従いその内容は自ら異つてくるのであつて、宗教保護政策のとられていた時代、殊に神社を国の営造物としていた時代の境内地の範囲と国が一切の宗教に対して中立の立場をとつたうえでこれを譲与しようとする境内地の範囲とを同一の立場に立つて平板に比較対照して解釈すべきではない。従つて、かつて境内に編入された土地であるからといつて、これを宗教活動上必要なものとして譲与すべきものであるということにはならない。

(3) 被控訴神社は、然らばなぜ富士山八合目以上だけを例外として、他の神体山はそれぞれの神社に譲与したのか、として幾多の先例をあげられる。この点については、行政実務処理の面において宗教活動上必要なものについての解釈が多少ゆるやかであつたと反省される面もあるが、他方、富士山が他の神体山にくらべて後記するような特殊性をもつているものであることにかんがみるならば、差別的取扱いであるとの批難はあたらない。

第四公益上国有存置の必要性について

一、勅令第一九〇号第二条の「公益上」の必要性の意義

勅令第一九〇号第二条は法律第五三号第一条第一項の要件を充足する土地であつても、国土保安その他公益上又は森林経営上国において特に必要あると認めるものは国有として存置し譲与することはできない旨規定する。この規定は同令第一条第一項の規定とともに法第三条の委任にもとづいて定められたものであるから、両者あいまつて譲与の対象を明確ならしめるものであつて、いずれが原則でいずれが例外という関係にあるものではない。さきに上地の意義ならびに譲与の意義の項で述べたように、法律第五三号は新憲法の規定する祭政分離と、宗教団体に対する特別の利益供与の禁止により、従来の社寺と国との間の財産上の特殊関係を清算する必要から設けられたのであるから、譲与されるものの範囲は国が保有することの必要性と宗教団体が有する宗教活動上の必要性との比較のうえに求められるべきは当然であらねばならぬ。よつて被控訴神社が勅令第二条をもつて法第三条の委任の範囲を逸脱するもの(法律第五三号第三条は宗教活動上必要なものであるという譲与の要件を具体化、明白化するためにその内容を勅令に委任したのであるから、勅令第一九〇号第二条のようにそれとは全く別個の観点から譲与の制限を定めることは委任立法の適法なる範囲を逸脱するとする主張)というはあたらない。

問題は、その場合の公益の内容にある。元来公益の内容はそれぞれの法令により、また事案の性質によつて異なる多種複雑なものであつて、別に一定しているものではないから、結局当該法令の趣旨、目的、規定の仕方または事案の性質からみて、そこにいう公益は何をいうのか考えてみなければならない。社寺等が従来のように無償貸付を受けられなくなるのは新憲法施行の結果であつて公益事由の存否とは関係がなく、また勅令第二条は一般公共の利益を社寺等の利益と同等以上に保護する必要があるので、国と社寺等との間の利益の調和をはかるために設けられたものであつて、しかして公益の内容はそれぞれの法令により、あるいは事案の性質により異るものであり、一方宗教活動上の必要性もその対象によつて程度の差が考えられるので、結局具体的な場合に両者を比較衡量して国有に残すか、それとも譲与するかが決せられるのであつて、抽象的一般的に当然に公益上の必要性を厳格に解釈しなければならないということはいえない。

また勅令第一条および第二条は、ひとしく法律第三条の委任を受けて、同第一条は積極面から同第二条は消極面から法律第一条の譲与の範囲を定める規定であるから、一般に国民の権利を公益上の必要性から制限する場合と同じように、勅令第二条の公益上の必要性を現に存在する明白かつ具体的な公益事由に基づくものに限られるとする見解は失当である。公益事業のために使用される土地等を公益上の理由により国有存置するためには、さらに程度の高い公益上の必要がなければならないが、公益の内容は多種多彩であり、単に事業のみがその対象となるものではないから、公益事業との関連において一般的に公益上の必要性を特に厳格に解釈しなければならないということはいうことができない。森林経営上の必要が広い意味では公益上の必要に包含される。しかし、勅令第二条が特に森林経営上の必要を公益から切りはなして別に規定したのは、国有林野事業は私企業的立場から収益を目的として行われるもので公益の程度が低いと考えられるので、国有林の経営上必要がある場合でも国有存置を認めるために注意的に別に規定しただけのことであつて、それが別に規定されているからといつて、公益上の必要を厳格に解しなければならないというのは論理の飛躍である。かえつてそのような森林経営上の必要からしても国有存置するということからすれば、公益上の必要はむしろ広く解して差支えないことが推察される。

二、国有存置すべき公益上の必要性の存否

(一) 国民感情について

被控訴神社が富士山八合目以上の譲与によせる期待は、該地域が被控訴神社の御神体として信仰の対象であることから、その地域の神聖を冒涜する行為を自ら排除できる力をもちたいということにある。ところが他方富士山に対しては、国民一般が日本国土の象徴として国民全体のものとし、特定の者の支配を排除したいという感情も存在する。この両者を比較するとき、いずれに軍配をあぐべきかは明瞭であつて、公衆の感情は特定人の感情に優先するものとして保護せらるべきである。

(1) 法律第五三号は、新憲法の施行により社寺等に対する国有境内地の無償貸付関係を断絶しなければならなくなつたことに伴い、その善後措置として社寺等の自立自営のため一定の範囲の土地等を社寺等に譲与することにし、その譲与する範囲は、社寺等の宗教活動を行うのに必要なものであつて、かつ公益上国有存置の必要性のないものに限定することとし、勅令第一九〇号第一条はその前者について同第二条はその後者について規定したものであつて、もちろん社寺等の自立自営をはかるために設けられた法律第五三号の制定の目的からすれば、公益上国有存置の必要性は宗教活動上の必要性とくらべて程度の高いもの、いいかえれば宗教活動上の必要性を打ち消してまでも国有に存置する公益上の必要性がある場合に限られることはいうまでもないが、要は具体的な場合に宗教活動上の必要性と公益上国有存置の必要性とを比較衡量して、宗教活動上の必要性を凌駕するだけの公益上国有存置の必要性が存するかどうかを考えれば足りる。ところで、富士山は古来我が国民一般によつて深く敬慕され、日本国土の象徴として渇仰され、国民一般から国民全体の山であり、従つてこれを国民全体のものとして国有に残しておきたいという国民感情が存在し、これを一神社の所有に帰せしめることに対しては、国民一般の感情上の反撥心のあることは否定できない。

(2) 法的利益は何も有形的利益に限られるものではなく、精神的利益も十分法律的保護に値するものであることは今更ここで多言を要しないところであつて、これを単に抽象的なものとしてこれに対する利益侵害を無視してよいのではない。その上、富士山に対する国土象徴としての感情は一部国民に限られるものではなく、国民全般の等しく懐く極めて切実な感情といつても差支えないところである。従つて、かような感情ないし意識を尊重しこれを阻害することのないよう配慮することが何が故に公益性がないと一概に排斥し得るものであろうか。国民一般の利益でも精神的なそれは保護に値しないという特殊な独断論以外にはこれを支持できるものではない。その上、また今日の富士山の神体山性の稀薄化と被控訴神社がこれを所有しなくてもこれを信仰の対象として崇敬し、また儀式行事を行うのに何ら支障がないということを併せ考え、両者を比較考量すれば優に公益上国有存置の必要性があると称して妨げないところであろう。

(3) 旧幕時代は被控訴神社の支配するところであり、その後も無償貸付の対象となつていたのであるから、これを被控訴神社に返還するのにさしたる支障はない筈だとの考えがあるかとも推察されるが、その間の時代の変遷に応ずる国民の一般的又は宗教的感情の変化を無視すべきではないし、また本件においては単なる利用権でなく所有権そのものの帰属の問題であるから、これに対する国民感情も決して軽視してよいものではない筈である。

(4) なお、既譲与部分についても右の国民感情が存在することはもちろんであるが、それを譲与したのは実際の行政において公益上の必要性と宗教活動上の必要性との調和をそこに求めたのであつて、そのために右の国民感情が公益に当らないということにはならないし、また本来国民感情は富士山の全一体を対象とするものであつて、そのうちの少部分の帰趨如何にあるものでないことは被控訴神社側において譲与を受ける必要性として主張されているところの問題と異るところはない。

(二) 文化、観光その他公共の用に供することの必要について

富士山が日本における最高の山としてその頂上附近は景観その他学術上からも極力自然状態を保護する必要があるほか、リクリエーシヨンとしての登山あるいは科学研究の対象ともなつているものであるから、公共の利用に供するための諸施設を整備する必要があることは万人の認めるところとなつている。こうした諸要請に応ずることのできる者は国をおいて外にないから、該地域を国有に存置しておく方が、そうでない場合に比べてよりよくこれらの要請に応ずることができることも説明を必要としないところである。この場合国において具体的計画があるかどうかは問題ではなく、具体的計画を樹立すべき必要性が顕著である限り国有存置の必要性は肯認さるべきである。

それはさておき国においては現に左記のような諸種の計画をもつている。この点に関する既往の説明内容については種々訂正を加えたので、改めて詳述することとする。

(1) 厚生省関係

富士山は富士箱根伊豆国立公園の該心をなし、これを訪れる者は年間二〇万人を数え、年々増加の一途をたどつているが、宿泊、休憩、救急施設、便所等の諸設備は甚だ不十分であつて、登山者及び内外の観光客に対し甚だしい不便と不快の念を与えておる。従つてこれらの諸施設は速やかに整備する必要があるが、他方その築造にあたつては自然公園としての風致景観をば害なわないよう深甚な注意と綿密な計画のもとに実施される必要があるのであつて、そのためには国においてこの区域における所有権を保留することにより、強い管理権をもつてこそ万全を期することができる。

集団施設地区指定の計画については、なお、文化財保護委員会その他関係各省と協議し意見の調整を図る必要があり、従つて現在直ちにその計画を実施するまでに計画が具体化していないが、しかし、現にその計画が諸種の事情により具体化していないということから、直ちに、将来の計画遂行のため国有存置とすべき公益上の必要性がないと断定することは早計に失することは勿論であるばかりでなく、厚生省としては、基本的利用計画(乙第三号証の二参照)については何ら変更はなく、ただ本件富士山八合目以上の土地が係争中であるため、その計画の進行を差し控えているのであるが、今後関係各省との協議、意見の調整を図つたうえ是非ともこれを実現したい意向をもつておる。

現在計画されている富士山八合目以上の土地における危険防止及び衛生保持等の施設として次のものがある。

(イ) 厚生省の計画

A 防護壁

二基(別添第一図A・B地区)その敷地面積二八〇平方米(八四・七坪)

A地区の防護壁

長さ七〇米、巾二米、敷地面積一四〇平方米(四二・三五坪)、高さ一米

これは久須志岳頂上の火口ぞいに設置するものであるが、久須志岳の頂上の崩壊が激しく切り立つており、火口を覗く登山客の転落の危険防止及び濃霧の発生、強風の際に登山客が火口へ転落するのを防止するものである。

B地区の防護壁

長さ七〇米、巾二米、敷地面積一四〇平方米(四二・三五坪)、高さ一米

これは西安の河原に設置するものであるが、平地上の相当範囲にわたつて亀裂が入つており、登山客が多く乗ると崩壊転落の危険があること及び濃霧の発生、強風の際に登山客が火口へ転落するのを防止するものである。

B 公衆便所

二ケ所(別添第一図にイWC、ロWCと記載されている地区)

イWCの公衆便所

建坪一五八・四平方米(四八坪)、敷地三一六・八平方米(九六坪)

久須志神社の東南で、神社と山室が共同で建設した有料の公衆便所の北方に無料のものを作る予定である。

ロWCの公衆便所

建坪一四五・六平方米(四四坪)、敷地面積二九一・二平方米(八八坪)

コノシロ池の平地の南端に無料のものを建設する予定である。

そして、富士山八合目以上の地域においては、宿泊、休憩施設、救急施設、便所等の諸設備が未だ不十分であつて、登山者や内外の観光客等に対し不便、不快の念を与える恐れが少くない状態にあることにかんがみれば、厚生省が計画しているところの登山者にとつて必要最少限度の基本的公共施設、すなわち、登山道、管理、救急、休憩、展望等の諸施設、便所等の整備運営を図る必要があることは誰がみても明らかであるから、関係各省との協議において多少の紆余曲折は免れないとしても、厚生省の計画は当然実現されていいものといわなければならない。そうだとすれば、現在計画を直ちに実施するまでに計画が具体化しているかどうかはそれ程問題にするには当らないのであつて、要は計画実施の必要性があるかどうかが問題なのである。そして計画実施の必要性があることは右に述べたとおりであるから、それ自体として富士山八合目以上を国有存置すべき公益上の必要があるといわなければならない。

また、自然公園法は、公園区域の土地の所有に関係なく、適当な素質条件を有するものを指定して、そこに自然公園としての風致維持のため公用制限を行う建前をとつているが、国立公園特に特別地域、特別保護地区については、その保護、利用の増進のために公共的立場から綜合的な計画をたてこれを実効あらしめる必要があり、そのためには、その地域について強い管理権を有する必要がある。

殊に富士山のように世界的名峯であるとともに、地形及び気象条件等が著しい特異性をもつ場合には、その保護、利用の両面から、特に強い管理が必要となる。すなわち現景観の維持に必要な施設の設置、人為による荒廃を防ぐ等の措置は国がその所有権に基づき管理してこそ万全を期することができ、また利用の面でも登山者の激増にかんがみその安全利用の便等を確保するため、厚生省としては、さきに述べたように、公共的施設の適正配置、整備等を考えているのであつて、これは国においてこそできることであり、一神社でとうていできるところではない。一方本件富士山八合目以上の土地が私有に帰した場合には、その保護、利用、調整等において不備を招く恐れがあるほか、さらに私有地への立入禁止、営利行為の発生等により快適な利用を妨げる事態が生ずる恐れがあつて、自然公園法にはこれを防止する手段がない。かように国有存置することの利益が大きく、私有に帰することの損失の恐れの大きいことを考慮すれば、国有存置すべき十分の公益上の必要があるというべきであつて、事は単に便宜の問題ではない。

(ロ) 厚生省の既存施設の利用上必要とされる土地の面積は次のとおりである。

富士山頂管理休憩舎

建坪二九二・一六平方米(八八・三八坪)、管理休憩舎に必要な土地一、五七七・一一平方米(四七七・〇七坪)(乙第一六号証の一参照)

管理休憩舎はもと軍用施設であつたものを昭和三一年度、昭和三二年度の予算をもつて改修整備を行い昭和三二年夏より開設したものであつて、夏季期間中は診療所を開設(医師二人が常駐)し、急患の救急、診察にあたる一方、登山客に無料で開放している。従つて管理休憩舎は、富士山頂における休憩、休養または避難の拠点になつているものであるが、現在の建物では八〇名ぐらいの収容能力しかないのに、多いときは三〇〇名、普通でも一〇〇名ぐらいの登山客が訪れるので、それらの者には戸外の休憩場所として管理休憩舎の石積外壁から最低一〇米(但し休憩舎の裏側――乙第一六号証の一の図参照――は五米)の土地が必要であり、また、玄関側(右図面左側)については登山者の集合が多いことを考慮して一五米を確保するものとして、結局前記敷地面積の土地が必要となる。

(ハ) 周遊歩道

延長三、四三〇米、巾員一米乃至三米

総面積六、六五〇・七五平方米(二、一九九坪)(乙第二二号証の一ないし三参照)

周遊歩道は外まわり(尾根伝い)と中まわり(火口巡り)とそれをつなぐ遊歩道によつてできており、国立公園の中の苑路として登山客等の利用が極めて多くその確保が必要である。(厚生省は山梨県に委託して昭和三三年度において改修工事を行なつたものである。)

(2) 運輸省関係

(イ) 海上保安庁関係

海上保安庁においては、海上保安業務の有機的遂行のため通信網の拡充、整備をはかる上において将来既設の専用有線回線のうち、幹線を自営の無線多重回線に置きかえ、また船艇通信の超短波多重化を行うべく、本庁各管区本部間及び海陸間の通信を電波伝播上最良の条件で中継できる中継所を富士山頂に設ける超短波通信網の計画をたてており、この計画では、通信用局舎用地九九一・七三平方米(三〇〇坪)、空中線設備等(パラポラアンテナ)二、三一四・〇四平方米(七〇〇坪)、配置線ケーブル等敷地六、六一一・五七平方米(二、〇〇〇坪)合計九、九一七・三五平方米(三、〇〇〇坪)の用地が必要とされる。従つてその用地確保のために富士山八合目以上の土地を国有に存置する必要がある。(乙第一七号証参照)

(ロ) 気象庁関係

富士山頂に所在する富士山測候所は、昭和七年開設以来常設高山観測所として一般気象をはじめ、各種の地球物理学的観測を行つてきたが、近時は航空上必要な気流の調査等の業務を加え、これらを遂行するために、気象庁においては、次のような土地を必要とする。

A 富士山剣ケ峯所在

測候所建物敷地(床面積)四四六・二〇平方米(一〇六坪四合八勺)

測候所敷地面積一、四八八・六四平方米(四五〇・三一坪)(乙第一八号証の二参照)

測候所敷地は前記建物敷地の他にアンテナ八基(乙第一八号証の二のの表示がその個所である)、地下撚料庫(昭和三九年九月完成)の敷地合計三六・三六平方米(一一坪)と右建物及び工作物の管理に必要な範囲の土地を含むものである。

B 富士山頂東安の河原所在

富士山測候所待避所建物敷地(床面積二七五・五二平方米(八三・三四坪)

待避所敷地二、六七八、六四一平方米(八一〇・二九坪)(乙第一八号証の四、五参照)

建物敷地面積は気象庁が建築した建物五一・三〇平方米にその後電々公社が増築した一〇三・四二平方米と外壁石積部分一二〇・八平方米を合せたものであり、待避所敷地は富士山測候所業務運営に必要な物資輸送の中継基地として物資の推積場として必要となる建物前方の空地と、常駐している山頂測候所職員が急病にかかつた場合の患者、医薬品等の輸送や連絡、精密機械の運搬のためのヘリコプターの発着用地として必要となる右建物の東側の空地を合せたものである。

C 観測要員の交替道路及び待避所敷地

富士山八合目から東安の河原までの交替道路

延長一、四〇〇米、巾員一米

待避所敷地 四平方米 五ケ所

合計面積一、四二〇平方米(四三〇・二九坪)

現在測候所の職員は二〇日毎に勤務の交替を行つているが、これら職員の冬季の交替道路として必要とされるものであり、現に使用されている。ここを選んだ理由としては、現在の登山道はいずれも沢ぞいにあるため、冬季には結氷し、なだれの危険が多いので、尾根伝いに作る必要があつたからであり、この道路にそつて強風から身を守るための鉄柵を昭和三四年から昭和三七年に設置し、途中五ケ所に石積の待避所を設置した。これら敷地も気象庁にとつては欠くことの出来ない土地である。

D 送電線埋設路敷地

富士山八合目から黒岩付近を経て東安の河原待避所及び銀明水横、奥宮裏、馬の背ハツトを経て山頂測候所までの土地(経路については乙第一九号証の二参照)

延長一、四五九米、巾員二米、敷地面積二、九一八平方米(八八二・七〇坪)

富士山測候所において使用する唯一の電力の供給路であり、巾員二米は埋設工事等に最少限度必要なものである。

(3) 文部省関係

文部省の外局である文化財保護委員会は、富士山を昭和二七年一〇月七日名勝に、同年一一月二二日特別名勝に指定しているが、その保護の完全さは、国有地の方が私有地に勝ることはいうまでもない。文化財保護法は国有主義を採用していないが、名勝記念物等はその大多数が地域の指定を伴うものであり、その保護に当つては、土地に関する権利との調整を必要とするので、土地が私有の場合には、名勝等の現状保存の立場を貫くことが困難な場合もあり(現状変更の制限も私有の場合には事実上その程厳格になしえない)、また文化財保護法の規定からも、私有の名勝等の譲渡については制限を課していないのに反し、国有のものについては、文化財保護委員会の同意を要することとし、名勝等は国有にしておくことが最も望ましいことを示している。名勝等指定区域の土地が私有の場合には、名勝等の現状保存の立場を貫くことが容易でないことから、国がこれを買収することが行われていることを考え合せれば、特別名勝たる富士山は国有の存置する公益上の必要がある。

(4) 日本電信電話公社関係

日本電信電話公社は昭和二五年以降富士山の夏季登山者のため富士山頂東安の河原に御殿場電報電話局富士山頂分室を開設し、電報、電話、通話の受付、窓口交付の例による電報配達事務、電話交換等の業務を行なつてきているが、その局舎敷地、送電線埋設路敷地として次の土地が必要である。

<1> 局舎敷地二、六七八、六四一平方米(八一〇・二九坪)

現在の分室建物敷地面積(床面積)二七五・五二平方米(八三・三四坪)(乙第一九号証の一参照)

この建物敷地面積は気象庁が建築した建物五一・三〇平方米(一五・五二坪)にその後電々公社が増築した一〇三・四二平方米(三一・二八坪)と外壁石積部一二〇・八平方米(三六・五四坪)を合せたものである(別添第二図参照)。

右分室においては、アンテナ二基(受信、送信用)を使用しているが、電波の混信状態、伝播状態に応じてその位置を変える必要があるので、その用地として大体記念碑と分室建物間の範囲の土地が必要であるほか、登山者が右分室に電報電話の通話の申込み、窓口交付による電報配達のために多数来所し、ことに団体客の場合には二、三〇〇名ぐらいの者が待ち合せるので、その場所として右建物の東南に空地が必要であり、また夏季期間中常駐している公社職員が急病にかかつた場合の患者、医薬品の輸送、天候急変に伴う食糧等の輸送や連絡のためのヘリコプターの発着所として右建物の東側に空地を必要とするので、登山道や周囲の地形、土地の状況等を勘案して、前記面積の土地が必要となる。

<2> 送電線埋設路敷地

富士山八合目から分室まで

延長八五七米、巾二米、敷地面積一、七一四平方米(五二〇坪)(乙第一九号証の二参照)

の土地が必要である。

なお、被控訴神社は電々公社を国と同視することはできないといわれるが、電々公社は国の業務である公衆電気通信役務を提供するために作られた営造物法人であるから、国と同視することに差支えあるものではないが、さらに勅令第二条の国有として存置する場合というのは、国が自ら事業を実施する必要がある場合のみに限られるものではなく、国以外の例えば公共団体等が事業を実施する場合であつても、その事業が一般公共のために行われるものであり、そのために一定の土地が必要であるという場合にはこれを国有として存置し譲与の対象にしないことができる。それは、譲与の対象が国有財産であり、しかして従来の国と社寺との関係の整理清算のため、これを譲与するかどうかについて、勅令第二条は、公益等の観点からの必要性に社寺等の必要性に対する優越性を認め、公益等の必要性がある場合にはその国有財産を国有として存置しこれを譲与の対象から除外することを定めたものと解されるからである。

ところで日本電信電話公社は一般公衆のための電気通信業務を営むものであつて、その事業が公共の福祉の増進を目的とするものであることは明らかなところであるから、公社の事業の遂行上必要な前記土地は当然国有存置の必要性があるものといわなければならない。かりに国有存置の必要性を被控訴人主張のように解するとしても、公社は一応形式上は国とは別個の独立の法人であるが、その営む電気通信業務は従来国家行政の一環として国の行政機関によつて行わしめたものであつて、ただその企業的性格を考慮し、事業の合理的かつ能率的な経営を行わせるため独立の法人として公社が設立されたものであるから、公社は実質的には国と同一体をなし、一種の政府関係機関とも称すべきものである。従つて勅令第二条の解釈適用に当つては公社を国に含め、公社の事業遂行のため必要な土地は当然国有存置の必要性があるものといわなければならない。

(5) 道路関係

富士山八合目を経て富士山頂に至る道路は登山道及び観光道路として必要不可欠のものであり、このために次に述べる土地を国有として存置する必要がある(別添第三図参照)。

<1> 足柄停車場富士公園線

起点 足柄停車場

終点 山頂の登りつめたところ(久須志神社前)

八合目以上の延長一、四一九・三米、巾二・五米

敷地面積 三、五四八・二五平方米(一、〇七三・三五坪)

昭和三五年四月一日静岡県道として認定され、同県において管理している。(乙第二〇号証の一、二参照)

<2> 富士公園太郎坊線

起点 二級国道東京沼津線に接する御殿場市中畑二、一〇九の二五

終点 山頂の登りつめたところ(御殿場口下山道の標柱と竜の絵が書いてある反対側の石碑と結んだ線上………銀明水前)

八合目以上の延長一、二八二・八米、巾一・八米

敷地面積 二、三〇九・〇四平方米(六九八・四八坪)

昭和三五年四月一日静岡県道として認定され、同県において管理している。(乙第二〇号証の一、二参照)

<3> 富士宮富士公園線

起点 富士宮市の浅間神社前を通つている二級国道元吉原大淵富士宮線に接する富士宮市大宮字西新田九六四の一

終点 山頂の登りつめたところ(奥宮前)

八合目以上の延長一、八六三米、巾二・五米

敷地面積 四、六五七・五平方米(一、四〇八・九〇坪)

昭和三五年四月一日静岡県道として認定され、同県において管理している。(乙第二〇号証の一、二参照)

<4> 富士上吉田線

起点 富士吉田市上吉田町一二

終点 山頂の登りつめたところ(久須志神社前)

八合目以上の延長、巾、敷地面積は<1>の足柄停車場富士公園線と同一である。

昭和三三年一〇月六日山梨県道として認定され、同県において管理している。(乙第二一号証の一、二参照)

以上富士山八合目以上の地域については、国においてその現状の保護をはかりつつ、公共のための施設をなす要があるものであるから、国有として存置する公益上の必要があるといわなければならない。

(乙)  被控訴神社の主張

本事件は、法律第五三号及び勅令第一九〇号の解釈、適用の問題であるが、同法令が新旧憲法の移行にともなう特異な立法であり、その解釈、適用には国有境内地の由緒、沿革の理解を欠くことをえず、しかも本事件が行政上の重大問題であることは勿論のこと、宗教上の重大問題でもあるので、問題とすべき点は極めて多岐にわたつている。

第一社寺上地の意義

富士山八合目以上の地域の国有境内地の編入及び登録

一、控訴人が第一社寺上地の意義の冒頭において主張する被控訴神社の立論と称するものは、誤解に基づくものである。

被控訴神社の主張は、昭和二二年法律第五三号第一条第一項、同第三条及び昭和二二年勅令第一九〇号第一条第一項各号の規定により、(一)嘗つては社寺の所有地であつたが、社寺上地等により無償で国有になり、(二)その後当該社寺が旧国有財産法第二四条の規定により国から無償貸付を受け、しかも、(三)将来とも当該社寺が宗教活動を行うのに必要な国有境内地は、当該社寺に譲与されることになつているが、富士山八合目以上は右の要件を完全に具備するものであるから被控訴神社に譲与されるべきものであるというのである。

控訴人の主張するように、富士山八合目以上に関する民法上の所有権が被控訴神社に存するから、その所有権は同神社に譲与されるべきものであるというのではない。国が富士山八合目以上を被控訴神社に無償貸付けした法律的社会的経済的意義につき、被控訴神社が論述したのは、譲与の性質が返還の趣旨においてなされるものであることを主張したことによる。

二、富士山八合目以上の地域は、明治三二年七月二八日に境内地に編入された旧農商務省所管区域と昭和七年九月二九日に境内地に編入された旧帝室林野局所管区域とに二分されるが、これらの土地は境内地編入の時以来それぞれ国有境内地として被控訴神社の奥宮境内地となり神社明細帳にもその旨登載されてきた(甲第五九号証)。

神社明細帳の記載によれば奥宮境内地の総坪数は一、一〇四、五八四坪となつているが、それはつぎの経過による。

(一) 旧農商務省所管区域と旧帝室林野局所管区域との双方を含む奥宮境内地の総坪数は、被控訴神社の明治一五年の実測結果では一、〇七六、三一二坪(三、五五八、〇五六・一九平方米)となつていたが、内務省が明治三二年七月二八日旧農商務省所管区域を国有境内地に編入するさい、過つて旧帝室林野局所管区域を含む右坪数を国有境内地編入の坪数として取扱い、一、〇七六、三一二坪が神社明細帳に登載された。

(二) 右誤謬は、昭和七年九月二九日旧帝室林野局所管区域が国有境内地に編入されるさいも訂正されることなく、一、〇七六、三一二坪(三、五五八、〇五六・一九平方米)はそのまま旧農商務省所管区域の坪数を示すものとして取扱われ、この坪数に対しあらたに国有境内地に編入された旧帝室林野局所管区域の坪数二八、二七二坪(九町四反二畝一二歩)(九三、四六一・一五平方米)を加算することとなり、その結果奥宮境内地の総坪数が一、一〇四、五八四坪と表示されることとなつた。

しかしながら、右の神社明細帳の記載坪数は、技術的に未熟な明治一五年当時の測量結果を基本にすると共に昭和七年九月二九日境内地に編入された旧帝室林野局所管区域の坪数を二重に加算しているため、正確なものとはいうことができない。そこで、被控訴神社があらためて沼津営林署所蔵御料地境界簿(甲第一六号証)により求積したところ、奥宮境内地の総坪数は一、一九七、七五六坪九合五勺となる。

三、奥宮境内地は前述のとおり二度にわたり国有境内地となり、被控訴神社の用に供されることとなつたのであるが、つぎに述べる理由により明治四一年法律第二三号神社財産に関する件及び同年勅令第一七七号神社財産の登録に関する件にいう「神社財産」に該当せず、従つて右法令の適用を受けなかつた。

(一) 右法令は、神社に対する明治政府の保護政策のあらわれとして、明治維新以来断片的に発布されてきた各種法令を整備し、神社の所有する財産に対し特別の保護と制限を加えることを目的とする立法であるが、国有境内地は実質的には神社の所有であるが形式的、法律的には国が所有し神社がその用に供するものとして、前記法令による規制をまつ迄もなく、それ以上に十分なる神社財産保護の措置がとられていた。なお、大正一〇年には同年法律第四三号国有財産法が制定され、同法による規制を受けるにいたつた。したがつて国有境内地に対しては神社財産に関する件の適用はない。

(二) 神社の所有する一切の財産は一般の財産と同様私有財産であるが、明治憲法下においては神社の所有する社殿、境内地または宝物は神社の尊崇の対象となつて、直接間接に公益のために供されるものと考えられていた。そのため政府は前記法令により保護制限の必要があると認められる神社所有の「不動産及び宝物」に限り「神社財産」として保護制限を加えた。したがつて、国が所有し神社がその用に供する国有境内地は「神社財産」中に含まれてない。当時の行政事務取扱い上もそうした取扱いがなされていた(児玉九一著神社行政二四五―二五五頁、足立収著神社制度綱要一八九―一九九頁参照)。

なお、本件土地の無番地は明治の初から現在まで番地がつけられてなく、地番設定は棚上げされているため登録されていない。

第二法律第五三号の制定趣旨について

一、国有境内地は、おおむね明治初年の社寺上地、地租改正の際、国が社寺から無償で取上げたものであるが、その他に社寺の信者からその社寺の境内地とするため国に寄付されたものも少くない。従来、これらの土地はその沿革的理由に基づき旧国有財産法(大正一〇年法律第四三号)第二四条の規定により社寺の用に供する間無償で使用させることとなつていた。新憲法施行後この状態を継続することは、その規定を表面から見る限り、信教の自由に関する憲法第二〇条及び宗教団体に対する特別利益供与禁止に関する同第八九条の規定に違反することとなるので、新憲法施行に際しこの特殊関係を清算する必要にせまられた。そのため、社寺の無償使用権(旧国有財産法第一八条の規定により、国がこの権利を公用その他の理由により消滅させたときは、そのために生ずる損害を社寺に賠償すべきものとされていた。有光次郎著宗教行政一五一頁参照)を取上げてしまうことは社寺の既得権を没収することであつて、財産権を保障する憲法第二九条の精神に反する。さればといつて、国有境内地に対する社寺の沿革的特殊関係を考慮の外に置いて、それらの土地を社寺の自立自営のためだとはいえ、新たに社寺に与えることは、宗教団体に対する特別利益供与禁止の憲法第八九条の精神に抵触することとなる。このような財産権の保障と宗教団体に対する特別利益供与禁止に伴う財産整理との間に立ち、案件の唯一公平なる解決策として、法律第五三号が制定せられ、同法は実に新憲法施行に先だちその前日たる昭和二二年五月二日に施行された。そして、同法は、前述のごとく憲法上の要請があるため、国有境内地に関する社寺の特殊的、沿革的な請求権的利益を是認し、無償で国に取上げられ又は寄付したという証拠があるものは、無償使用権の断絶をさけるため社寺に返還するという意味において譲与することとし、その証拠のないものは前述の無償使用権断絶の補償の意味を含めて時価の半額売払の措置を講ずることとした。のみならず、旧国有財産法第二四条では社寺の用に供する間無償で貸付すると定められていたのであるから、たとえ無償貸付中の土地であつても現実に宗教活動の用に供せずそれ以外の収益目的等に使用されているものは、それまで譲与もしくは半額売払をしなくても社寺の既得権を侵害することにはならず、かえつてそれを譲与もしくは半額売払をすることが宗教団体に対する特別利益供与となり憲法第八九条に違反するおそれがあり、そのためそうしたものの譲与、半額売払はこれをしないこととした。

二、ちなみに、法律第五三号をその前身である昭和一四年法律第七八号(寺院等に無償にて貸付しある国有財産の処分に関する法律)と比較するに、法律第五三号は国有財産処分の要件として、(一)社寺上地、地租改正、公共団体の負担によらない寄付又は寄付金による購入にかかるものであること、(二)現に国有財産法による無償貸付を受けていること、(三)当該社寺が宗教活動を行うのに必要であること、の三要件を掲げているが、昭和一四年法律第七八号では(二)の要件のみを掲げ、(一)、(三)の要件は加えられていない。昭和一四年法律第七八号の下では、国有財産法による無償貸付中のものは、たとえ現状が宗教活動と関係のない収益目的等に供されていても処分の対象になることができたし、又どのような沿革の土地であつてもその沿革を問うことなく処分の対象とされた。(昭和一四年法律第七八号については根本松男著宗教団体法第三八六頁以下参照)。法律第五三号が新たに(一)、(三)の要件を追加したことは前述の宗教団体に対する特別利益供与禁止に関する憲法第八九条違反となることを避けるためである。

三、控訴人は同条にいう譲与を国に返還義務あるものの返還と解する必要はなく、そのように解さなくても、法律第五三号は宗教団体に対する特別利益供与禁止を定めた憲法第八九条に抵触せず合憲であるとなし、その理由として国有地がもと社寺の所有に属していたのを社寺上地、地租改正処分等によつて強制的に国有に編入したものであること、またそれが国有になつた後も社寺に無償貸付して使用させてきた沿革があり、さらにこれを全部取上げてしまうことは社寺の自立自営が成りたたなくなるおそれがあるという諸般の事情を考慮すれば、自立自営に必要な範囲のものを社寺に返還しても特定の宗教団体に対して特別の利益を供与することにはならず合憲であると主張する。

しかし、被控訴神社は、厳密な意味において国に返還義務あるものを返還することが譲与であり、かく解さなければ法律第五三号は違憲であると主張しているわけではなく、国は昔社寺のものであつた土地を社寺に移転すべき相当の理由がありその理由に基づいて移転する、換言すれば実質的意味において昔社寺のものであつた土地を国が預り保管しておりこれを社寺に返還することが譲与であり、このような返還の相当性が存すればこそ法律第五三号も合憲であることができると主張している。仮にも、実質的意味における返還の相当性を認めないならば、法律第五三号が譲与の要件として社寺上地、地租改正等により国有に帰したものであることを掲記している理由を説明することができなくて、譲与の合憲性を認めることはできない。返還の相当性を認めない限り、控訴人の主張は結局社寺がこのままでは可哀想であり自立自営も覚付かないから社寺の一本立を促進するため法律第五三号を制定したということに帰し、控訴人が合憲であるとして主張する国有化の過程その他の各種事情は単なる過去の事情にすぎないのであつて、同法が宗教団体保護の性質を有しないことを説明する根拠とならないはずである。同法は宗教団体に対する特別利益供与禁止に関する憲法第八九条の趣旨に副わないことは明らかである。

四、控訴人は、譲与を国が預り保管していたものを返還する措置を講じたものでなく、新憲法の趣旨実施のための諸般の考慮の下に行われた新たな措置であるとするが、実質的意味における返還を認めないならば、それが宗教団体に対する特別利益供与禁止の憲法第八九条に違反するという批難を免れることはできない。

五、控訴人は、譲与を国が預り保管していたものを返還する意味に解しなければならないとすると、宗教活動上必要でないもの迄も譲与して一向差支えないことになるのみならず、むしろそうしたものを譲与しなければ違憲ということになり不合理であると主張するが、これは誤りである。前述の通り、たとえ国が預り保管していた土地であつても旧国有財産法の建前としては社寺の用に供する間無償で使用させることになつていたのであるから、実際に社寺の用に供していないもの即ち宗教活動以外の収益目的等に供しているものまでも返還の対象にする必要はなく、又返還しないこととしたからといつて格別社寺に不利益をもたらすとも考えられず、反つてこうしたものを譲与の対象にするとそのことが宗教団体に対する特別利益供与禁止に関する憲法第八九条に抵触することとなり許されない。

六、控訴人は、譲与の性質を理解するに当り社寺の無償使用権断絶に対する補償というが如き意味を持込むことは許されないと主張するが、既に述べた通り譲与は社寺の沿革的請求権的利益を是認し無償使用権の断絶をさけるための返還(境内地の維持)を意味するのであるから、譲与の意味を理解する際無償使用権断絶に対する補償の観点から十分に考慮すべきことはいう迄もなく、その理解に当り補償というが如き意味を持込むことは許されないとなすことはできない。

七、なお、社寺の無償使用権は過去の沿革に基づき何時かは社寺に返還することを見越して認められたものであり、その性質は民法にいう使用貸借と同一でなく、共に無償とはいつても、民法のそれが恩恵的性質を有するのに対し社寺のそれは旧国有財産法第一八条の規定により損害賠償をしなくては解消できず、解消するにも公用その他の理由を必要としていたものであることを付言する。

八、国有境内地の「譲与」の意味について

社寺境内地は、明治初年の社寺上地令、地租改正の諸法令等一連の法令が施行されるにともない、何等その対価を支払われることなく国有に帰属し、旧憲法下においては、国の宗教政策の結果として、国が境内地を社寺のために保管し社寺はこれを無償で境内地の用に供するという体制のもとに存続していたが、社寺からの国有境内地の返還要求については、国家は社寺の自立自営が覚束ないことを理由として拒否し続けてきた。このような沿革があるため、大正一〇年旧国有財産法第二四条では社寺の国有境内地の使用権を確保する趣旨の定めを置き、同法第一八条ではこれを取上げたときは損害賠償をなすべきことを規定した。しかるに、昭和二〇年に終戦となり同二二年五月新憲法が施行されるに及び、右の国有境内地の存続は政府の宗教団体に対する利益供与となり(憲法第八九条)政教分離の建前からも許されなくなる(憲法第二〇条)ので、特にわざわざ法律第五三号を制定して国有境内地を右の沿革に徴し社寺に返還する措置をとることになつた。したがつて、同法に於ける国有境内地の「譲与」という用語は返還の趣旨に解さるべきである。たとえ形式上、法律上は正確な意味において返還でないとしても、実質的意義においては国家がこれを社寺の所有に帰せしめる責任があるので、上述の立法措置がとられた。しかも、同法のこの趣旨は社寺境内地の維持にあつて、社寺境内地の新設にないことはいうまでもない。

九、次に控訴人が第二法律制定の理由並びに「譲与」の意義の要約冒頭一三行において、新憲法の政教分離、宗教団体に対する特別利益供与禁止の趣旨にそうため、国有境内地を社寺から取上げ「そのために社寺の存立を危くすることは、かえつて宗教に対する不当なる圧迫として、これまた憲法の許すところではない」から、昭和二二年法律第五三号により一定の土地を社寺に譲与することになつたと主張する。しかし、同法律による譲与は、国有境内地を社寺から取上げることが当該社寺の国有境内地に対する特殊な沿革的関係(社寺の側から見れば一種の既得権ともいえる)を没却することになり、新憲法の財産権保障の趣旨にそわない結果になるものと考えられたからに外ならない。控訴人の主張のように、社寺の存立を危くしないことを唯一の目的として昭和二二年法律第五三号の譲与が認められたものとするならば、譲与は新憲法の宗教団体に対する特別利益供与禁止の趣旨にそうものではなくなる(甲第二号証一八一―一八二頁参照)。

第三「宗教活動を行うのに必要なもの」の意義について

一、法律第五三号の制定趣旨が前述の通りであるとすれば、同法第一条にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」とは、「宗教活動以外の収益目的等に供されている土地」を社寺に譲与すると宗教団体に対する特別利益供与を禁止する憲法第八九条の趣旨に副わなくなるので、それらのものを譲与の対象から除外する趣旨でつけ加えられた要件と解すべきである。従つて、「宗教活動を行うのに必要なもの」の意義を狭義に解して「宗教活動を行うのに必要にして不可欠なもの」に限るとすることは正当でなく、より広く当該社寺の本来的使用、換言すれば固有の宗教目的に供される土地をも包含する趣旨に解すべきである。譲与が社寺の沿革的請求権的利益を是認し無償使用権断絶の為の措置としての返還の性質を有することは前述した通りであるから、仮に「宗教活動を行うのに必要なもの」の意義を狭義に解すると社寺側の沿革的請求権的利益ないし無償使用権という一種の財産権的権利を故なく侵害するおそれがあるところからしても前述の如く広く解釈すべきことは当然である。のみならず、「宗教活動を行うのに必要なもの」の範囲を規定した勅令第一九〇号第一条の文言をみると、同条には社寺の宗教活動に含まれるとは必ずしも考えられない社寺又は社寺関係者の公益事業のための使用地をも譲与の対象に含めているが、このことは「宗教活動を行うのに必要なもの」が広義の意義を有するものであることを物語つているのである。

二、控訴人は、「宗教活動を行うのに必要なもの」という譲与の要件は、宗教活動上必要なものは譲与し、そうでないものは譲与しないという意味で設けられたに過ぎないから、当該土地を譲与しなければ宗教活動の目的を達成するのに必要にして不可欠という意味に解すべきであると主張するが、このような解釈では法律第五三号が譲与の要件としてその前身たる昭和一四年法律第七八号になかつた「宗教活動を行うのに必要なもの」という要件を殊更に追加した理由を理解することができない。前述の通り「宗教活動を行うのに必要なもの」という要件は宗教活動を行うのに必要でないものまでも譲与すると、社寺に対し特別な利益を供与することになり憲法第八九条に抵触するおそれがあるのでそれを抑制するため設けられたのであるから、宗教活動以外の目的に使用するものを排除する点に眼目があるものとして、当該社寺の固有の宗教目的に供されるものを広く包含したものとすべきである。従つて、「宗教活動を行うのに必要なもの」を特に宗教活動を行うのに必要にして不可欠なものと限定する理由はない。

三、控訴人は、「宗教活動を行うのに必要なもの」の範囲を広く解すると、「宗教活動を行うのに必要なもの」という要件は、旧国有財産法第二四条の無償貸付の要件と同じこととなり、法律第五三号第一条が「現に社寺等に無償で貸し付けてあるもののうちその社寺等の宗教活動を行うのに必要なもの」を譲与すると定めて特に「宗教活動を行うのに必要なもの」だけを譲与することとした趣旨が没却されると主張するが、それは誤りである。前述のとおり、昭和一四年法律第七八号では、旧国有財産法第二四条による無償貸付中のものであつても現実的には宗教活動以外の目的に供されているものがありこれをも処分の対象としていたので、これを社寺に対する特別利益供与禁止に関する憲法第八九条の趣旨に副い処分の対象から除外する必要があつたので、法律第五三号では「宗教活動を行うのに必要なもの」という要件を追加したのである。従つて、控訴人のいう如く「宗教活動を行うのに必要なもの」だけを譲与することとした趣旨が没却されるということはなく、控訴人の見解は誤りである。

四、控訴人は、法律第五三号の処分には社寺の無償使用権断絶のための措置としての返還ないし補償という意味が含まれていないのであるから、「宗教活動を行うのに必要なもの」の範囲を広く解することは不当であると主張する。しかし同法が社寺の沿革的請求権的利益を是認し無償使用権断絶のための措置としての返還ないし補償を規定したことは前述の通りであるから、「宗教活動を行うのに必要なもの」という規定が広義に解されねばならぬことは明らかであり、それにもかかわらず狭く解しようとすることは正当でない。

五、控訴人は、昭和二二年勅令第一九〇号第一条が公益事業のため当該社寺又は社寺関係者が使用する土地を譲与の対象としたのは、宗教団体によつて本来的宗教活動のほかに公益事業が行われることは今日一般の常識であるので、宗教活動にそれを包含してそれに必要な土地を譲与することにしたのであつて、それは宗教活動そのものをそのように広く取扱うということであり、それと「宗教活動を行うのに必要なもの」の範囲とは異るから「宗教活動を行うのに必要なもの」の範囲を広く解する根拠となるものではないと主張する。しかし、同勅令第一条は法律第五三号第三条の委任に基づき「宗教活動を行うのに必要なもの」の範囲を具体化したものであるから、この勅令の規定から逆に右の「宗教活動を行うのに必要なもの」の範囲を推察することは不自然でない筈であり、本件の場合、宗教活動上必要にして不可欠とは認め難い公益事業地までも譲与の対象にされていることは、「宗教活動を行うのに必要なもの」の範囲が前述の如く広範囲のものであることをうかがうに十分である。

第四神体山について

一、勅令第一九〇号第一条第一項各号の沿革と神体山

(一) 「宗教活動を行うのに必要な」土地、すなわち境内地がどの範囲の土地をいうかということは、明治八年地租改正事務局達乙第四号(社寺境内外区画取調規則)第一条において、

「社寺境内之儀ハ祭典法要ニ必需之場所ヲ区画シ更ニ新境内ト定其余悉皆上地之積取調ヘキ事」

と定められたのが最初であるが、この規定ではその内容が必ずしも明確ではないので、明治三九年農商務省、内務省訓令林発第三号において、従来の行政事務取扱いを参考にして、その二条に、

社寺境内ニ編入シ得ヘキ箇所ハ左ノ各号ノ一ニ該当シ其ノ社寺ニ相当スル区域ニ限ル

一、社寺ノミノ風致ニ必要ナル箇所

二、祭典、法要又ハ参詣道ニ必要ナル箇所

三、歴史若クワ古紀社伝等ニ於テ社寺ト密接ノ縁故アル箇所

四、社寺ノ建物建築ニ要スル箇所

五、特ニ社寺ノミノ災害防止(濫リニ防風林ト称スル類ヲ除ク)ノ為必要ナル箇所

と定めてその範囲を明確にした。境内地に関するこの考え方は、その後現在に至るまで、多くの立法例において境内地の範囲を画するための考え方として引継がれ、昭和一四年宗教団体法施行令第一五条では、

寺院又ハ教会ノ用ニ供スル土地ニシテ左ノ各号ノ一ニ該当スルモノハ当該寺院ノ境内地又ハ教会ノ構内地トス

一、堂宇、会堂其ノ他寺院又ハ教会ニ必要ナル工作物ノ敷地

二、寺院又ハ教会ニ於テ儀式又ハ行事ヲ行フニ必要ナル土地

三、参道

四、歴史、古紀等ニ依リ寺院又ハ教会ト密接ノ縁故アル土地

五、庭園其ノ他寺院又ハ教会ノ風致ノ維持又ハ災害ノ防止ニ必要ナル土地

と規定し、法律第五三号第一条第一項にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」の具体的範囲を明らかにした昭和二二年勅令第一九〇号(以下勅令第一九〇号という)第一条第一項では、

一、本殿、拝殿、社務所、本堂、くり、会堂その他社寺等に必要な建物又は工作物の敷地に供する土地

二、宗教上の儀式又は行事を行うため必要な土地

三、参道として必要な土地

四、庭園として必要な土地

五、社寺等の尊厳を保持するため必要な土地

六、社寺等の災害を防止するため直接必要な土地

七、歴史又は古記等によつて社寺等に特別の由緒ある土地

八、その社寺において現に公益事業のため使用する土地

九、略

と規定した。

(二) 右各種法令の各条項を彼此対照すると、「宗教活動を行うのに必要な」境内地の範囲は、一貫して根本的な相違はなく同一のものであることが明らかであつて、勅令第一九〇号第一条第一項各号の規定が法律第五三号の制定に際しはじめて考えられたものではなく、旧憲法下において宗教行政上確立された境内地の概念をそのまま採用したものであることが理解される。

(三) 被控訴神社および後記二、の(三)の(a)に記載した大神(おゝみね)神社その他の神体山については、その区域はいずれも、旧憲法下において行政上前記法令の適用があり、当該神社の宗教活動を行うのに必要な土地と認められていたのであるから、右区域に勅令第一九〇号第一条第一項各号を適用するに当つても、当然その適用があつてしかるべきである。右の大神神社その他の神体山については行政上現にそのように取扱われてきた。

二、神体山の譲与適格性について

神体山といわれる地域は、当該神社の神仰の対象となりその神社が直接維持管理にあたり宗教活動の基盤をなしている。こうした神社の数は全国的には必ずしも多くはないが、神体山と当該神社との特殊関係から、その神社の宗教活動は直接神体山に密着して行われており、当該神社が神体山を直接維持管理することは必要不可欠である。そのため、神体山が当該神社の「宗教活動を行うのに必要な」境内地であることはいう迄もないところであつて、この見解は戦前の宗教行政上は勿論のことと、法律第五三号及び勅令第一九〇号による国有境内地処分の行政事務取扱いにおいても同法の解釈、適用上採用されている。

(一) 被控訴神社は、創建以来富士山八合目以上を直接管理支配すると共にそれを信仰の対象となし、この事実を基盤としてすべての宗教活動が成り立ち継続されてきたのであるから、同神社の宗数活動上、同神社が将来とも富士山八合目以上を所有せねばその存立がおびやかされることは明らかであり、この事実は宗教関係者の等しく認めるところである。このように信仰の対象としての富士山八合目以上が被控訴神社の一切の宗教活動の根源をなし将来とも同神社の宗教活動上必要不可欠なものである以上、それが法律第五三号第一条にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」であることはいうまでもない。

(二) 神体山が法律第五三号第一条にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」に該当しながら、勅令第一条第一項各号中に神体山なる文言を欠くのは次ぎの理由によるものであり、神体山なる文言を欠くが為め右の「宗教活動を行うのに必要なもの」に該当しないとすることはできない。本勅令の対象となる社寺は一〇万に及ぶのに対し、神体山信仰に立脚する神社はその数において、たかだか数十社にすぎず、全くの少数例外的の存在であるため、勅令第一条第一項各号において「宗教活動を行うのに必要なもの」を具体的に規定する場合に、右のような少数例外的なものを一つ一つ掲記することは事実上不可能であり、可能であるとしても煩瑣にすぎるので、一般社寺に共通な拝殿敷地や参道敷地等に着眼して規定し、解釈上当然法令の趣旨を推知し得しめ、それらのうちに含まれると解しうるものは、一々これを掲記しないで、これを法令の解釈に委ねたに過ぎない。又現に二荒山神社(日光)、大物忌(ものいみ)神社(鳥海山)、白山比[口羊](ひめ)神社(白山)、月山神社、湯殿山神社、大神神社(大和国三輪山)、砥鹿(とが)神社(鳥海山)、白山比[口羊](ひめ)神社(三河国一宮村)等十数件に上る神体山関係の神社は、殆んどすべて神社の申請通り、神体山の譲与を受け、その各々の面積は実に一千余万坪又は数百万坪という広大なる面積に及ぶものが多いのに、独り本件浅間神社のみがその唯一の例外をなしている。

(三) 神体山譲与の先例について

(a) 神体山が当該神社の信仰の対象であるが故にその神社に譲与され、その上、その信仰形態、規模、格式等において被控訴神社に類似する行政上の先例としてはつぎのようなものがある。

神社名

元社格

神体山の名称

社在県

神体山を含む譲与面積

大神(おおみわ)神社

官幣大社

三輪山

奈良

九七九、九一一坪四二

白山比[口羊](しらやまひめ)神社

国幣中社

白山

石川

八、三五七、七四三坪九八

大物忌(おおものいみ)神社

国幣中社

鳥海山

山形

二、七七三、六四七坪五七

二荒山(ふたらさん)神社

国幣中社

男体山等

栃木

一〇、二九三、七一八坪六五

湯殿山(ゆとのさん)神社

国幣小社

湯殿嶽

山形

一、〇四二、五〇〇坪〇〇

月山神社

官幣大社

月山

山形

五、三四九、一四四坪〇〇

御上神社

官幣中社

三上山

滋賀

一〇一、五七〇坪八三

金鑚(かなさな)神社

官幣中社

御室ケ嶽

埼玉

一六、四六八坪四一

これらの神社は、古くより山岳を信仰の対象としてそれを直接維持管理し宗教活動を行つている神社として名高く、そのうちでも特に白山比[口羊]神社、大物忌神社、二荒山神社、湯殿山神社及び月山神社の例は神社の沿革、格式、規模において被控訴神社のそれに近く、その上、神体山が国立公園の中枢部に位置し、国際的にも有名な地域にあるものもあり、神体山信仰の形態においては勿論のこと、譲与面積が広大である点においても被控訴神社の場合に著しく類似している。

(い) 白山比[口羊]神社は里宮たる本社と白山頂上の奥宮とからなつており、本社と奥宮とは約四七粁離れ、奥宮境内地全域八三五万余坪は昔から信仰の対象となつており、富士山の場合と同じく開山祭、閉山祭も行われ、登拝、巡拝が一種の宗教行事になつており、奥宮境内地の奇厳、洞窟、瀑布等が行場とされ、その上、この地域は国立公園に指定され、天然記念物等も数多く存し、この地域内の道路は一船登山者の登山道としても利用されているが、一括して譲与されている(甲第三号証の二参照)。

(ろ) 大物忌神社は里宮ともいうべき吹浦口の宮と蕨岡口の宮と奥宮たる本社とからなつており、各里宮と本社とは数粁離れ、神体山の面積は二七四万余坪に及び、夏期登山者が講を組織して登拝し、その全域が神聖なる土地とされており、この区域内の道路が一般登山者により利用されていることは勿論であるが、一括して譲与された(甲第三号証の三、同第四〇号証の一、二参照)。

(は) 二荒山神社は日光市内に里宮たる本社を有しているが、遙拝所として中禅寺湖畔に中宮中宮祠があり、奥宮は男体山その他の山の頂上にある。譲与面積の大部分は男体山、大真名子山、小真名子山、女峯山、白根山等の存する地域であつて、これらの連山は神体山として崇敬され、夏期登拝することが一種の宗教行事となり、神体山に特有な開山祭、閉山祭が行われていることは勿論である。この地域は国際的に有名な国立公園であり、区域内の道路は一般登山者等のため登山道等として利用されているが、一括して譲与されている。郵便局敷地については神社が自ら譲与申請をしないことにより事実上国有存置となつているが、その範囲は現に郵便局として使用されている部分に限られ、それ以外は譲与されている(甲第三号証の四、同第二五号証及び証人喜田川清香の証言参照)。

(に) 湯殿山神社と月山神社とは、出羽神社と共に出羽三山神社として世に知られており、湯殿山神社の信仰の対象は湯殿嶽等の中腹山岳地帯であり、月山神社のそれは月山の頂上部であるが、いずれも神聖な地域とされ、各所に儀式行事用地もあり一括して譲与されている。この地域は磐梯朝日国立公園の一部であり、右地域内の道路は登山者の利用するところとなつている。なお、出羽三山神社は古来から一体をなすものとして信仰されているため、出羽三山神社を結ぶ帯状の地域、特に出羽神社と月山神社とを結ぶ一〇粁余の部分が譲与されていることは、「宗教活動を行うのに必要なもの」の範囲を決定するにあたり、いかに慎重であり宗教の圧迫にならぬように配慮したかがうかがわれる(甲第三号証の五、六、同第二四号証、同第四一、二号証及び証人青木仁蔵の証言参照)。

(b) つぎに神体山信仰の形態、神社の規模、格式、沿革等において、(a)に述べたほど被控訴神社に類似するものではないが、神体山的様相を帯びているものとして譲与された先例として次のようなものがある。

神社名   元社格  所在県 神体山を含む譲与面積

砥鹿神社  国幣小社 愛知  二六〇、九四四坪〇六

葉山神社  郷社   山形   二〇、三九〇坪三七

加蘇山神社 県社   栃木  一三六、一二七坪〇一

御上神社  官幣中社 滋賀  一〇一、五七〇坪八三

諏訪大社  官幣大社 長野  一三五、三八八坪〇五

立岩神社  無格社  徳島    六、七四二坪七四

薬師神社  村社   山形   八三、一六〇坪九三

猿田彦神社 無格社  栃木  三二六、九七八坪〇〇

飯豊山神社 県社   福島  一二一、五七九坪〇〇

尾鈴神社  村社   宮崎      九八三坪〇〇

さらに、神体山信仰に基くものとはいいがたいが、信仰の対象となつている池、岩等が譲与された先例として次のようなものがある。

神社名   信仰対象物    譲与坪数

枚岡神社  山頂     一、五六八坪〇〇

白山社   岩        八八七坪七三

池神社   池     二〇、三七六坪九八

池宮神社  池      五、八八二坪七〇

花窟神社  岩山       四九三坪九三

(四) 富士山信仰(浅間信仰)と被控訴神社

(a) 富士山信仰(浅間信仰)の信仰団体は全国に数多く存するが、そのうちにあつて、被控訴神社のみが信仰の究極的対象である富士山八合目以上を直接維持管理し、富士山八合目以上に密着した宗教活動を行つており、そのため被控訴神社は旧官幣大社の格式を有し、規模において並ぶものなく、富士山信仰の中心的存在を占めている。被控訴神社以外の宗教団体にあつては、被控訴神社がその由緒、沿革、規模、格式等に徴し富士山八合目以上を直接維持管理しそれに即した宗教活動を行うことを当然のこととして、それぞれのおかれた立場においてそれぞれにふさわしい宗教活動を行つているものであり、その信仰形態としては、静岡市の浅間神社をはじめとする数多くの浅間神社のようにみずから、鏡、剣、その他の御神体を奉持するにもかかわらず信仰の根源において富士山八合目以上の信仰に結びつく形態や、富士講のように富士山八合目以上に登拝しそのことに独自の意義を見出す形態のほかに、遙拝社として富士山八合目以上を遙拝するにとどまる形態等種々のものが存するが、何れも信仰の根源においては被控訴神者と富士山八合目以上との密接不可離な関係を否定するものではなく、むしろこの関係を前提として、被控訴神社の富士山信仰におけるかなめとしての役割を認めている。

(b) 富士山信仰に立脚する宗教団体のうちにあつて、被控訴神社のみが富士山八合目以上を直接維持管理しそれに密着した宗教活動を行つてきた結果、被控訴神社にあつては、他の宗教団体と異り、毎年夏期富士山八合目以上において開山祭、閉山祭を執行することや、富士山に登山することがそれ自体登拝という宗教行事になつていること等、特異な宗教活動が行われている。特に開山祭、閉山祭が信仰の対象である地域において行われることは、近時観光のために神体山をなす地域に密着することなく行われるものは別として、被控訴神社に類似する神体山信仰の神社の特色である。

(五) 中央審査会の答申について

法律第五三号及び勅令第一九〇号による国有境内地処分の行政事務は、国有財産の処分であるため大蔵省管財局の取扱うべき問題とされたが、前述したとおり右法令が特殊の沿革を有し宗教の存立に重大なる影響を及ぼすおそれのある問題であるため、同法は第一条第一項の規定により国有境内地を譲与するに当つては、予め学識経験者からなる社寺境内地処分審査会に諮問すべきこととし、その答申をまつて処分すべきことを定めた。しかも、官国幣社等規模の大なる社寺の案件その他特異の案件については処分審査会のうちにあつても特に権威のある中央審査会の答申をまつて処分すべきこととされ、富士山八合目以上の譲与申請についても被控訴神社が旧官幣大社であり格式も高く規模も大なるため中央審査会の審査を必要とした。

富士山八合目以上の譲与申請に対する中央審査会の答申には多少迂余曲折を経ているが、最終的答申としては原判決第一、五、(二)記載のとおり富士山八合目以上を原則として被控訴神社に譲与することを妥当とするものであつた。しかるに、行政庁はこの答申に耳もかさず、本件訴訟において右答申とは全く異る見解をとり被控訴神社と今日に至るまで抗争しているが、これは前記法令による一〇万余の社寺に対する国有境内地処分のうちにあつて、唯一の例外をなしている。一般行政上の事務取扱いの上において、これほど審査会の答申を無視することは異例であり、審査会設置の趣旨に反しているものといわなければならない。

三、控訴人の主張に対する反論

(一) 控訴人は、勅令第一条第一項第二号にいう「宗教上の儀式又は行事を行うために必要な土地」は、同条第一項第一号にいう「本殿、拝殿、社務所、本堂、くり、会堂、その他社寺等に必要な建物又は工作物の敷地に供する土地」と同様社寺の物的施設を構成する土地であつて、それは宗教法人法第三条第四号の「宗教上の儀式行事を行うために用いられる土地」と同じく儀式行事用地を指すものであり、従つて、それには信仰の対象が含まれないことは常識に照して明らかであると主張するが、右の法文中に神体山なる文言のないことをもつて神体山が勅令第一条第一項第二号に該当しないとすることの誤りであることは、先きに述べた通りである。なお、控訴人は右条文中に信仰の対象の如きものが含まれないことは常識であるというが、儀式行事の用に供する土地も儀式行事の中核たる信仰の対象あつての儀式行事の土地であるから、中核をなす土地を儀式行事の土地から除外することは全く形式に堕した解釈であつて、正当ではない。

(二) 控訴人は、富士山八合目以上が、たとえ被控訴神社の御神体であるとしても、その存在並びに山容に変更を来たすことは考えられないのであるから、それを同神社が直接支配管理しなければ、同神社の儀式行事が行いえないものとはいえないと主張する。

しかし神体山信仰の対象を所持しなくても宜しいものであると一般的抽象的に決めてかかることは宗教の本質から見て正当な見解ということはできない。信仰の対象を従来自ら保有してきたものが、保有できなくなつた場合に重大な影響を蒙むることは明らかである。国有境内地処分に当り、多数の学識経験者を含めた社寺境内地処分中央審査会が設置されたのも宗教に関してこのような態度を厳に慎しむよう配慮されたためであり、その答申を敢えて無視する控訴人の主張は明らかに失当である。

まして、信仰の対象たる地域を神社自ら保有できなくなつた結果、その地域が如何に利用され、如何に措置されても、神社はこれに対し何等関与することができなくなり、場合によつては神体山としての性質に背反するような事態が生じても、神社はどうにもできないこととなる。このような状態を招来してなお信仰に何等の影響がないとは、決していうことができない。

(三) 控訴人は信仰の対象はそれを所有しないからといつて信仰の対象にできないものではないから被控訴神社も御神体たる富士山八合目以上を所有しなくともそれが存在する限り宗教活動が不可能ないし困難に陥ることはないと主張されているが、信仰の形態は多種多様であり、同じ富士山の信仰でも前述のとおり各種の信仰形態があり、宗教団体により千差万別である。それにもかかわらず、信仰の形態を抽象的、観念的に考えて、信仰の対象を所有しなくとも信仰の対象にできないものではないとすることは、明らかに自然発生的に現実に発達した信仰の信仰たるゆえんを無視した架空の議論である。

法律第五三号及び勅令第一九〇号により国有境内地処分をなすに当り、同法第一条第一項は行政庁に対し予め社寺境内地処分審査会に諮問すべき旨を定めているが、これは右のような宗教を無視した議論により右法令による国有境内地処分がゆがめられることをおそれたからに外ならない。

第五勅令第一九〇号第二条について

一、法律第五三号第一条では「宗教活動を行うのに必要なもの」を社寺に譲与することになつているが、「宗教活動を行うのに必要なもの」を具体的に明白ならしめるため、同法律第三条で「第一条の規定により譲与すべき範囲は勅令をもつて之を定める」と規定し、これに基づき勅令第一条第一項各号は物件の種類を列挙している。従つて右勅令で定めうることは右譲与物件の具体化、明白化に限られるべきである。然るに、勅令第二条は「国土保安その他公益上又は森林経営上国において特に必要があると認めるもの」は国有に存置しうるとなし、法律第一条の規定とは全く別個の観点から譲与の制限をしておる。これは法律第三条の委任の範囲を逸脱せるものである。

凡そ委任命令というものは法律の委任に基づき、委任の範囲内においてのみ、法律と同一の形式的効力を有する。従つて、委任命令を定める場合には、委任する法律の規定を厳に遵守してなさるべきであり、かつ委任する法律の規定を解釈するに当つても、法律の委任せる趣旨、目的を篤と考察して、その精神に反しないことを旨とすべきであつて、いやしくも法律の委任の趣旨、目的に合致しない場合には、濫りに命令をもつて法律の規定を変更するような定めを為すべきではない。

しかるに、勅令第二条は法律の委任なくして、濫りに勅令の規定をもつて法律第一条の規定を変更しているものであつて、このような勅令の規定は法律上有効のものと考えることができない。

控訴人は勅令第二条制定の根拠として法律第三条を挙示しているが、法律第三条は宗教活動を行うために必要なるものとして譲与すべきものの範囲を勅令をもつて規定せしめている。宗教活動を行うため必要なるものと認めながら、これと全然別個の観点である公益上の必要から譲与しないことを規定することを認めているものではない。若しかかる勅令の規定が必要ならば、それを法律の中に規定するか、少くともその委任の趣旨を明らかに法律自体の中に規定すべきである。

繰返して述べれば、法律第三条は、法律第一条の規定により譲与すべき範囲を勅令を以つて規定せしめているのであつて、法律第一条の規定により譲与すべきものであつても、公益等の別個の観点から譲与しないことを規定できる旨を勅令に委任したのではない。宗教活動を行うに必要なものという観念と、公益上国有存置が必要であるという観念とは、全然異質的のものであつて、両者を認めんとするならば両方に対する法律の委任がなければならない。

現に控訴人主張の第四、二、(一)、(1)においても「社寺等の宗教活動を行うのに必要なものであつて、かつ公益上国有存置の必要性のないもの」という表現を用い、両者が全然異質的のものであつて、その制限が二元的のものであることを認めている。

あるいは、法律第三条に規定する「第一条の規定により譲与すべき範囲は勅令をもつて之を定める」というのは、如何なる観点から譲与すべき範囲を定めても差支ないとの解釈を控訴人は為すかも知れない。然し、委任をする場合には、如何なる範囲において、又は如何なる観点から、規定すべきかを、委任することが必要であつて、その範囲も、その観点も示さず、全然白紙委任的に法律の規定を変更、制限することまでを委任するのは、「委任」という本質に全く背反するものであつて、そのような委任規定は、実に、国民の自由、権利を保障するために立法事項を定めた憲法の趣旨を蹂躙するものであつて、合法的な委任規定と考えることはできない、法律上の効力のない規定となる。従つて法律第三条をそのように解釈することは全く不可能であつて、法律第三条は、法律第一条に宗教活動に必要なものと、極めて抽象的に規定して具体的にその範囲が明らかでないから、その範囲を詳密に勅令をもつて規定せしめんとしたものであつて、普通の委任命令に見るところと少しも異ることはない。

二、勅令第二条の法的効力の問題は以上の如くであるが、その問題を暫らく別として、その規定の内容について若干の考察を加えたい。

法律第五三号の規定趣旨は、前述の如く沿革上の理由に基づき国有となつた土地を社寺に返還する意味において譲与する点にあるものであるから、勅令第一九〇号第二条の国有存置の規定はこれに対する例外規定とみなければならない。この規定に該当する場合は、たとえ宗教活動を行うのに必要なものであつても、国有に存置しなければならないことになるのであるから、公益上の必要は現に存在する明白にして具体的なものに限るべきである。勅令第一条第一項第八号が社寺又は社寺関係者が公益事業のために使用する土地をも譲与の対象に加えていることとの権衡上からいつても勅令第二条にいう公益上の必要は国家自らが管理するのでなければその目的が達することができないという厳格な意味のものであることがうかがわれる。

三、控訴人は、法律第五三号第一条は国が預り保管していた土地を社寺に返還する措置を講じたものでなく、新憲法の趣旨実施のための諸般の考慮の下に行われた措置であるとなし、社寺が新憲法施行後従来のように無償貸付を受けられなくなるのは新憲法施行の結果であつて公益事由の存否とは関係がなく、また勅令第二条は一般公共の利益を社寺の利益と同等以上に保護する必要があるので国と社寺との間の利益の調和をはかるため設けられたものであつて、しかして公益の内容はそれぞれの法令により、あるいは事案の性質により異るものであり、一方宗教活動上の必要性もその対象によつて程度の差が考えられるので、結局具体的な場合に両者を比較衡量して国に残すかそれとも譲与するかが決定せられるのであつて、抽象的一般的に公益上の必要性を厳格に解釈しなければならないということができないし、勅令第二条の公益の必要性も現に存する明白かつ具体的なものに限る必要はないと主張する。控訴人の右主張は法律第五三号第一条を国が預り保管していた土地を社寺に返還する措置を講じたものではなく、新憲法の趣旨実施のための諸般の考慮の下に行われた新たな立法措置であることを当然の前提とするものであつて、この前提をとる限り法律第一条は宗教団体に対する特別利益供与禁止の憲法第八九条に抵触することとなる。その誤りであることは既に述べた通りである。そして、勅令第一条が「宗教活動を行うのに必要なもの」の範囲を具体的に定め、同第二条が「法第一条に規定する国有財産(勅令第一条を含む)で国土保安その他公益上又は森林経営上国において特に必要があると認めるものは国有として存置し前条の規定にかかわらず譲与又は売払をしない」と規定しているところからして、法文の趣旨は、宗教活動上の必要性と公益上の必要性を彼此衡量して譲与するか国有存置にするかを決定すべしとするものでないことは極めて明らかである。

四、控訴人は、勅令第二条が国有存置の要件として「国土保安その他公益上」の必要の外に「森林経営上」の必要を別に規定したのは、国有林野事業が私企業的立場から収益を目的として行われるもので公益の程度が低いと考えられるので、国有林野の経営上必要がある場合でも国有存置を認めるために注意的に別に規定したにとどまり、それが別に規定されているからといつて、公益上の必要を厳格に解しなければならないとはいえず、反つてそのような森林経営上の必要からしても国有存置するということからすれば公益上の必要はむしろ広く解して差支えないことが推察されると主張する。

しかし、控訴人自らも、述べているように「森林経営上」の必要は一般の公益に比し程度が低いので「国土保安その他公益上」の必要のうちに含まれない、特別に挿入したものであるから、ここにいう「公益上」の必要性を広く解釈することはできない。一般用語例としても「国土保安その他公益」という場合は国土保安その他これに準ずべき公益をいうものであり、「森林経営上」の必要のような場合を含まないのであつて、その上、公益上「特に」必要と認められる場合に限り国有存置しうるのであるから、国有存置の事由は厳格に解さるべきである。

五、国有存置区域決定の先例について

行政庁は法律第五三号及び勅令第一九〇号による国有境内地処分を行うに当り、右勅令第二条については、右のとおり現に存在する国の明白かつ具体的な施設等の敷地に限ると解釈し、現にその線にそい国有境内地処分の行政事務をとり扱つてきた。

(1) 行政庁は、昭和二二年一〇月一〇日蔵国第一四九三号「昭和二二年法律第五三号の運用方針」(甲第二号証二一六頁以下参照)なる文書により、国有存置の範囲を次のように定めている。

「四、国有存置の範囲

1、国土保安、森林行政上必要なものは農林省と協議して決定すること。

2、道路として国有存置するものは左によること。

(一) 認定済であつて且公共用として現に使用されてるもの、但し国有財産台帳上参道となつているものは三の3の(一)によること。

(二) 路線認定済で工事未着手のもの。

(三) 道路法の規定によつて認定手続中のものであるが、現に使用されており認定について社寺等の承認を得ているもの。

(四) 道路法による認定はされていないが、両端が公道に接続し事実上道路として使用され、容易に公道と同一視し得られるもの。但し、この場合に関係者と協議の上慎重に取り扱うこと。単なる予定の線は国有として存置せず処分の対象とすること。

3、右の外公共用財産として管理換するを適当とするものは国有として存置すること。」

この文章からも分るとおり、単なる予定もしくは計画にとどまる施設の敷地は国有に存置されることなく、たとえ公共用地として事実上使用されているものであつても、それは誰れが見ても明らかに公共用地としてのみ使用されているものに限つて国有に存置されていた。

(2) その結果、神戸の長田神社や春日大社の参詣道のようにその一部がたまたま一般人の用に供され宗教目的外に使用されることがあつても、そのために宗教目的の用に供されている事実を否定することは許されない、しかも両者は矛盾することなく併立しうるので譲与されるに至つている(甲第三五号証の一、二参照)。筥崎宮の例では潮井信仰という特殊神事が行われることがあるので参道を譲与している(甲第一九号証参照)。

(3) 賀茂別雷神社の例では、境内地を貫流する御手洗川が一般の灌漑用に供されているため、その敷地は国有存置されたが、他方本殿のかたわらをちよろちよろ流れ神社施設に風致をそえているような河川敷は、神社に譲与されている(甲第三四号証の一、二参照)。

(4) 譲与さるべき境内地が国立公園または重要文化財に指定されているときについても、国立公園もしくは重要文化財につき国有主義の法制がとられていないため、それだけの理由で国有に存置することはできない。現に行政事務の取扱いにおいても、これを国有に存置することなく神社に譲与されている。国立公園や重要文化財に指定されているからその敷地を国有にすることが望ましいという問題を、国有境内地処分の問題に持込むことは誤りである。現に国立公園の中枢部に位する前記白山比[口羊]神社(甲第三号証の二参照)、湯殿山神社(甲第三号証の五参照)、月山神社(甲第三号証の六参照)、二荒山神社(甲第三号証の四参照)及び厳島神社(甲第五二号証の一ないし三参照)に対する境内地譲与処分の場合に、何等問題なく譲与処分が行われてきた。

(5) 右のうち、二荒山神社に対する譲与地域は日光という名において世界的に有名であり、日本を代表する地域であるが、だからといつて二荒山神社の神体山たる男体山その他の地域を国有に存置する考え方は行政処分上全くとられていない(甲第三号証の四参照)。

(6) なお、奈良公園については、県立公園であるが、国際的にも有名な公園であるとして、公園敷地になつていた春日大社等の境内地を国有に存置できるかということが多少問題となつたが、これだけの理由で国有存置はできないとして春日大社等に譲与処分が行われている(甲第一九号証の三参照)。

(7) 当該境内地が文化財の場合であつても、それだけの理由で国有存置しなかつた先例としては、次のようなものがある。

神社名   文化財の種類

鵜戸神社  奇巖地帯

窟神社   鐘乳洞

大矢田神社 やまもみじ樹林地帯

桜山神社  偕楽園公園の一部

安賀多神社 古墳遺跡

江島神社  名勝史跡、天然記念物

築紫神社  岩脈

八幡神社  古墳遺跡

(甲第三三号証の一ないし七、同第五三号証及び同第五四号証の一、二参照)。

六、国有境内地処分の先例について

法律第五三号及び勅令第一九〇号による国有境内地処分は本事件を除き全部終了したが、その件数は社寺数にして一〇万余にのぼる(甲第二号証三〇四頁参照)。それらの先例における神体山の取扱、国有存置の可否、その区域の決定方法、審査会答申の受取り方その他あらゆる面において、行政庁が採用していた見解は被控訴神社の主張するところと概ね同一であるが、控訴人の本訴における主張は右見解と根本的に異つており、その上そのような見解の変更を首肯せしめるに十分な何等の理由をも見出されない。行政権の正当な運用であるかぎり、行政法規の解釈、運用が案件により変更されるということは、理由のないかぎり許されないところであり、延いては憲法により保障された法の下の平等原則(第一四条)違反につながり、法の権威を守り、行政の信頼を獲得するためにはたとえ訴訟技術的なものであるとしても断じて許さるべきことではないと信ずる。

七、国有存置の規定について、主張を要約すると、次のとおりである。

上述のとおり、「譲与」は返還の趣旨においてなされるものであるが、旧憲法下においても行政上国有境内地は当該社寺の「宗教活動を行うのに必要なもの」に限り認められていたのであるから、宗教目的以外の用に供されている国有境内地はほとんど存しない。しかし、全然ないともいえないので、それらのものを譲与の対象から除外することとして、勅令第一九〇号第二条で「国土保安その他公益上又は森林経営上国において特に必要があると認めるもの」は譲与しないこととした。かように、勅令第一九〇号第二条は本来社寺に返還すべきものにつき、右のような理由により、その例外規定とし譲与せず国有存置ができる趣旨を定めた。したがつて、この規定が厳格に解釈、運用されるべきことは当然であつて、国有存置の理由としては国において自ら管理する必要がある現に存在する明白かつ具体的なものに限られるべきである。

もつとも、勅令第一九〇号第二条には法律第五三号第三条の予想しない事項を規定した疑いがある。法律第五三号第三条は宗教活動上必要なものであるという譲与の要件を具体化、明白化するためにその内容を勅令に委任したのであるから、勅令第一九〇号第二条のようにそれとは全く別個の観点から譲与の制限を定めることは委任立法の適法な範囲を逸脱するものであつて、法律上無効であるといわなければならぬ。法律第五三号第三条が勅令をもつてすれば、如何なる観点からでも譲与を制限できるとすれば、それは白紙委任の規定となり、法律が命令に委任しうる適法の範囲を超える結果となる。控訴人の主張するように、勅令第一九〇号第二条を広義に解釈すると益々同条の違法性を明白ならしめることになる。

第六控訴人の国有存置の主張について

(一)  国民感情について

(1) 控訴人は、第一に富士山は古来我が国民一般によつて深く敬慕され、日本国土の象徴として渇仰され、国民一般から国民全体の山であり、従つてこれを国民全体のものとして国有に残しておきたいという国民感情が存在し、これを一神社の所有に帰せしめることに対しては、国民一般の感情上反発心があることは否定しえないとなし、右国民感情は勅令第二条にいう「公益」に該当するから国有に存置すべしと主張する。

しかし、富士山が古来我が国民一般によつて深く敬慕され日本国土の象徴として渇仰され国民一般から国民全体の山とされているからといつて、国有に残しておきたいという国民感情があるとなすことは失当であり、いわんや公益に該当するからそれを理由に国有に存置すべしとすることは誤りである。富士山が特別名勝となり国立公園とされているのは富士山の国民感情上における地位を十分に考慮した上でのことであり、国民感情はここに成法上保護されているものと考えられるが、文化財保護法においても、国立公園法においても、国有主義はとられておらず、国の意思としては国民感情があるとしてもその為めに国有にすべしとまではいつていない。従つて、本件において国民感情に国有存置を希望する趣旨が含まれており国有にして残すべきであると主張することは、むしろ行き過ぎである。国民感情を理由に国有存置を主張することが単なる希望ないし便宜論に立脚するものならまだ理解できるとしても、勅令第二条の「公益」に該当するとなすにおいては、それは文化財保護法等の採用している民有主義の考え方を根本から変更するものであり、法律第五三号の趣旨に合致するものではない。

(2) 控訴人は、本件においては単なる利用権でなく所有権そのものの帰属の問題であるからこれに対する国民感情も決して軽視してよいものではない筈であると主張し、法律第五三号が社寺に対し新たな措置として国有地を恩恵的に無償譲与するものであることを前提にされているようであるが、この前提そのものに問題がある。

国有地を新たな措置として恩恵的に無償譲与するものならば兎に角、法律第五三号は前述した通り社寺の沿革的請求権的利益ないし無償使用権に対する措置として旧憲法時代以来の境内地をそのまま存続させるため形式上の所有名義を実質的所有者ともいうべき社寺に移転するに過ぎず、国民感情に影響を及ぼすような具体的変動はなにも生じていないのであるから、この点を無視して国民感情に影響を及ぼすものとして国有存置を主張することは失当である。

(3) 控訴人は、既譲与の部分についても国民感情は存するが、それは富士山八合目以上の極く少部分にすぎず、少部分を譲与したからといつて残りの部分の譲与を国民感情を理由に拒否しても何等矛盾するものではないと主張する。

しかし、既譲与の部分は、たとえその面積は小さいものであるにしろ、場所的には頂上の八峯の頂きと旧噴火口、全域を主とするもので、何れも重要な位置に位し、国民感情からみた場合もこの点を無視することができない。これらのものを譲与しながら残りの部分は国民感情上譲与できないとすることは全く矛盾した態度である。

(4) 右勅令第二条が、国家において自らこれを管理すべき明白かつ具体的な公益上の必要性が現に存する場合に限り国有に存置しうる旨を規定したものであると解すべきものである以上、国民感情というような漠然とした抽象的な感情の存在をもつて国有存置の理由とすることは誤りである。

行政庁が、二荒山神社に対し神体山である男体山その他の日光連山を譲与するにあたり、社寺境内地処分中央審査会に対し、これら「諸山が附近に点在する湖沼名瀑と一体をなして二荒山神社の尊厳を維持し又延いては日光の二社一寺の背景をなし、国際的公園地を形成している」と意見を述べ(甲第三号証の四参照)、控訴人のいわゆる国民感情があるというならいうことのできるこれらの区域につき譲与処分を行つていることは、行政庁が右勅令第二条の解釈運用につき被控訴神社の右見解と同一見解をとつていたことを裏書きするものである。

(二)  文化、観光その他公共の用に供することの必要について

控訴人が国有存置の理由として主張する第二は、富士山八合目以上に現に公共の用に供している土地及び将来公共の用に供する計画もしくは必要のある土地があるからその部分を国有に存置すべしというにある。

(1) 本件訴訟は、控訴人が昭和二七年一二月八日になした請求の趣旨記載の行政処分が適法に行われたかどうかの判定を求めるものであり、裁判所が行政処分を取消すのは行政処分が違法であることを確認しその効力を失わせることであつて、裁判所が行政庁の立場に立つて如何なる処分が適当であるかを新たに判断するものではない。それ故控訴人が主張する国有存置の理由であつて右行政処分の日以降に生じたものをもつて右行政処分の適法性の裏付けをすることは、その当否について疑がある。

殊に法律第五三号による処分は国の文化宗教上極めて重要なものであるから、同法は、同法規定の措置を適正ならしめるために、その方面の学識経験の豊富な人を以て組織する社寺境内地処分審査会の意見を徴して処分を行うことにしているのに、そのような手続を経ないで、此の方面の事項に何等特別の経験なく単に国有財産の管理を任と為すことを目的とするに止まる官庁において独断判定をしようとするのは、到底そのよいわけを知ることができ得ない。

(2) その上、控訴人が国有存置の理由として主張するところは、何れも各省庁公社が各自勝手に立案作成した机上の計画、希望図にすぎず、富士山を名山として名にふさわしく全一体として管理運営する配慮に欠け、これがそのまま具体化されるとはとうてい考えられない。それにもかかわらず具体化できるとなすことは、控訴人が富士山は名山であるから国民感情を十分に考慮して処理すべしと為しながら、自らその立場を放棄し去つたものであつて、全く筋のとおらない議論である。又、控訴人が国有存置の理由として主張する各省庁公社の計画立案が如何に簡単に変更されるものであるかは、運輸省関係の計画立案が数度にわたり変更を見ているところからも十分にうかがい知ることができる。このような具体性のない単なる計画立案をもつて社寺の沿革的権利ないし無償使用権を排除しようとすることは法律第五三号の全く予想しないところである。

三、次に、その主張を個別的、具体的に検討してみると、国において自ら管理する必要がある明白かつ具体的な施設の用地と認めることができないものを数多く含めており、その不当なことはいう必要がない。

(1) 控訴人が厚生省関係として国有存置を主張する施設用地のうち現に公共の用に供しているのは富士山頂管理休憩舎(八八・三八坪)と便所(四・四坪)の敷地だけであり、それ以外の用地は国有存置すべきものではない。控訴人は、富士山頂管理休憩舎の用についても現に施設の存する右八八・三八坪のほかに、この建物の建ぺい率及び登山者がこの施設に夏期集合し外にあふれ出ることを理由として施設の周囲の土地を含め四七七坪余の土地の国有存置を主張しているが、富士山頂のような場所の建物について建ぺい率を問題にすることがすでに誤りであり、しかも夏期登山者がこの施設に集合し外にあふれ出ることはない(証人渡辺英一の証言参照)。仮りにあふれ出ることがあつてもそれは右施設の附近の状況からして単に人が外にあふれ出たというにとどまり、敢えてそのための土地を確保しておく必要性があるとは思われない。また、控訴人が国有存置を主張される便所に接する荷物置場及び休憩所用地についても右と同様であり、これら以外の厚生省が将来設置したいと計画する各種施設の用地については、国有に存置するために必要な現に存する明白かつ具体的な施設用地ということができないから、国有に存置すべきものではない。

(2) 控訴人は、運輸省関係として海上保安庁及び気象庁関係の各種施設用地その他の国有存置を主張しておられるが、国有存置の要件を具備するものは建物敷地にとどまる。

なかんづく、剣ケ峯頂上といわれる場所はごく狭いところであつて、剣ケ峯頂上の測候所建物用地と被控訴神社がすでに昭和二七年一二月九日に譲与を受けた一〇〇坪との外には全く余剰の土地がないにもかかわらず、控訴人が測候所用地として現に存する建物用地を含め剣ケ峯頂上に四五〇坪の国有存置の主張をしていることは、実際の現実にそわないばかりでなく、かつ行政庁がさきに行つた右一〇〇坪の譲与処分を無視する不当な主張である(この一〇〇坪は被控訴神社の宗教活動上富士山頂の八峯の頂上が特に重要な意味をもつため譲与となつたものであるから、その位置が剣ケ峯の頂上にあることはいうまでもない)。つぎに控訴人が国有存置を主張される交替道路、待避所及び送電線埋設敷地については、国において保持する必要性があるとも思われない。交替道路と待避所については、現況が道路であり待避所を形成しているということはできず、唯単に冬期登山のため人が通り待避することがある可能性があるというにとどまり、それらの敷地を被控訴神社の境内地に組入れたからといつて、その通行、待避がさまたげられるものではない。送電線埋設敷地についても同様である。

(3) つぎに、控訴人は国立公園及び重要文化財(特別名勝)の管理運営の必要上国有に存置すべしと主張をする。

しかし、国立公園法及び文化財保護法は国の意思として国有主義をとつてない。その上法律第五三号が前述の立法趣旨である以上、法の執行者である行政庁が法の趣旨を越えてまで国有主義を強く打出し、それを理由に国有存置の主張をすることははなはだしい行過ぎである。

富士山八合目以上の地域が文化財保護法による特別名勝であり、自然公園法による国立公園に指定されているものである以上、その計画の実現には第一に当該行政庁との協議が必要不可欠である。しかるに、右計画の立案実施を担当する各行政庁においてはなんらこのような協議を遂げておらず、しかもこの計画が本事件係属中においてすら既に一部変更をみせているだけでなく、それら計画施設用地のうちには明らかに被控訴神社の所有にかかる原判決添付物件目録第三記載の譲与済の土地が含まれておる(例えば剣ケ峯頂上における気象庁関係用地のうちに譲与済の剣ケ峯一〇〇坪が含まれ、周遊歩道と称する用地のうちに剣ケ峯一〇〇坪等が含まれているのはその例である)こと等を考えれば、控訴人の主張する国の計画がいかに架空で具体性をもたない、机上の計画にすぎない単なる希望、期待であることが明白である。

(4) 控訴人が日本電信電話公社関係として国有存置を主張される各種用地については、勅令第一九〇号第二条に「国において特に必要があると認めるもの」に限り国有存置されると規定された関係もあり、電信電話公社を国と同視することが許されるかどうかについては疑問であるのみならず、控訴人が空中線(アンテナ)施設等の用地として主張される別添第二図の範囲は余りにも具体的明白な理由とはいうことができなく不当である。控訴人はアンテナを各所に移動させる為に相当広範囲な土地を必要とすると主張するが、アンテナの移動は殆んど行われておらず、しかもそれは土地に固定させる必要のない規模のごく小さいものであるから、ことさらにその敷地を国有として確保しておく必要もない。

また、控訴人はヘリコプターの基地としても用地の確保が必要であるというが、富士山頂にヘリコプターが着陸したことは、わずかに測候所の改築工事に際して一度あつただけで、(証人渡辺英一の証言参照)、通常は気流関係からして危険きわまりなく、常時ヘリコプターが離着陸できる基地の必要性はなく、現にそうした施設も存しないのにその敷地として国有存置を主張することは誤りである。さらに控訴人は記念碑の敷地につき国有存置を主張するが、記念碑を公共の施設であるとする理由に乏しく、むしろ神社境内地等に記念碑が数多く存することの方が一般の傾向であつて、国有境内地処分の実際においても記念碑の敷地は社寺に譲与せられたものである。

(5) 控訴人が国有存置を主張する道路関係のうち、特に周遊歩道といわれるものは、古くより富士山頂の八峯を巡拝する道として「お鉢めぐり」の名の下に入口に膾炙し、境内の道路として被控訴神社の管理下におかれてきたものである。たとえ、この道が一般登山者の用に供されることがあつたとしても、それは前記第四、(二)、(三)の(a)の(い)ないし(に)に記載した白山比[口羊]神社その他の神社の神体山と登山道との関係や、第五の五、(2)記載の春日大社等の例に徴し、宗教目的に供されているものとして譲与さるべきものであり、国有存置さるべきものではない。特に、周遊歩道といわれるものは、被控訴神社がすでに昭和二七年一二月九日に譲与を受けた各種土地を結ぶものであつて、控訴人がそれらの土地をも含めて周遊歩道と名付けそれを国有に存置すべしとする主張は、余りにも不当である。

四、被控訴神社による富士山の管理について

最後に、被控訴神社が富士山八合目以上の管理運営に当ることには不安であると考える者があるかも知れないが、富士山八合目以上については明治維新後においても、被控訴神社がその境内地として永く維持管理に当つてきたことは現実の事実である。そしてその永い間の管理はよく霊峰富士の尊厳を保持すると共に、一般の登山者に迷惑を与えず何等の紛糾を生じたこともなく全く適当なものであつた。

被控訴神社が富士山頂の管理運営に当つて何等支障がないことは同神社の性格に照し明らかであつて、その間何等の不安はない。

現に過去久しきに亘る経験に徴するも、富士山頂を気象観測その他公益の目的のため使用せんとする場合には、関係者の間に十分の連絡協調を図り、その間何等の紛糾、齟齬を生じたことはいまだかつてなかつたのである。又今後においても、同神社は富士山頂の管理運営につき、十分の注意を払う意向であるが、更に慎重にも慎重を期するため、この際伊勢神宮又は明治神宮の例にならい、同神社に富士山頂管理委員会を設け、関係官庁の職員、学識経験の豊富な人々等を委員に委嘱して、その意見を聞いて措置することとしているから、山頂の管理に遺憾あるとはとうてい考えられない。

(丙)  証拠<省略>

理由

被控訴神社は昭和二三年四月二八日附で大蔵大臣あて、同神社本宮の社殿敷地などの土地合計一七、五三五坪二合二勺と併せて、本件係争の富士山八合目以上の土地についてその全域の譲与の申請をした。すなわち奥宮の分については、

(1)  本殿、拝殿、社務所その他神社に必要な建物又は工作物の敷地に供する土地(勅令第一条第一項第一号該当用地)として、一二二、八〇七坪二合八勺(原判決目録第一の土地のうち旧噴火口敷地に相当する部分で、別添図面中黄色に彩られた区域)、

(2)  宗教活動上の儀式又は行事を行うため必要な土地(同第二号該当用地として、一、一〇三、二二一坪六合七勺(原判決目録第一の土地のうち旧噴火口敷地を除いた区域と同目録第二の土地で、別添図面中青色、赤色に彩られた区域)を一括して譲与申請した。

そしてその申請書は同月三〇日大蔵省名古屋財務局富士宮出張所(後日東海財務局沼津出張所に移管)に受理された。控訴人は、大蔵大臣の指示を受け、昭和二七年一二月八日東海管財管一第千六百二十七号で本宮の分を申請どおり譲与し、奥宮の分は

(1)  勅令第一条第一項第一号該当用地として、奥宮社殿敷地五〇〇坪、久須志神社敷地二〇〇坪

(2)  同第二号該当用地として、金明水、銀明水各一六坪、大内院四七、三〇〇坪、銅馬社一〇坪、剣ケ峯、三島岳、駒ケ岳、朝日岳、成就岳、久須志岳、白山岳、浅間岳各一〇〇坪、このしろ池一、〇〇〇坪、天拝所一〇坪、八合五勺、参籠所一〇〇坪、以上合計四九、九五二坪だけを譲与し、(但しこれらの地積は後日画定することとなつたが、いまだ画定されていない。)その他を譲与しない旨の行政処分をなし、その通知が同月九日被控訴神社に到達した。被控訴神社は、昭和二七年一二月一〇日、右行政処分を取消し富士山八合目以上の土地全部を譲与するよう大蔵大臣あて訴願を提起したが、大蔵大臣は社寺境内地中央審査会に諮問し、同年同月二四日その答申を経たがまだ裁決をするに至つていない。そこで被控訴神社は行政事件訴訟特例法第二条但書に則り、訴願の裁決を経ないで、控訴人の右行政処分の譲与しないとする部分の取消を求めるため、本訴を提起した。以上の事実は当事者間に争がない。

第一、被控訴神社の地位及び富士山八合目以上の上地並びに境内地編入

一、被控訴神社は、古く延喜式は「浅間神社」としてその名が見え、明治四年五月一四日国幣中社に、明治二九年七月一四日官幣大社に列せられたが、昭和二一年勅令第七〇号附則第二項により宗教法人令(昭和二〇年勅令第七一九号)による宗教法人とみなされ、昭和二一年五月一一日その登記を経由し、昭和二六年法律第一二六号宗教法人法附則第五項により昭和二九年三月二九日所轄庁の認証を受け、同年四月七日同法による設立の登記をしたた。そして、被控訴神社は「木花佐久夜毘売命」を主神として奉斉し公衆礼拝の施設を備え、神社神道に従つて祭祀を行い、祭神の神徳をひろめ、同神社を崇敬する者及び神社神道を信奉する者を教化、育成し、社会の福祉に寄与し、その他同神社の宗教目的を達成するため、財産管理その他の業務を行うことを目的とする。

二、明治維新政府は、明治四年一月五日太政官布告を発し、「社寺領現在の境内を除く外一般上知」せしめ、その後、地租改正事業として官民有地の区分査定を行うに当り、明治八年六月二九日地租改正事務局達乙第四号「社寺境内外区画取調規則」を制定し、その第一条に「社寺境内の儀は祭典法用に必需の場所を区画し更に新境内と定め、其余悉く上知の積取調べき事」と規定し、明治八年七月八日地租改正事務局議定「地所処分仮規則」第七章第一節第一条に「社寺境内外は本年本局乙第四号達に準拠検査し官民有の区分を確定すべし」と定めた。この一連の法令が制定されるに伴い富士山八合目以上の土地は明治一〇年頃被控訴神社の境内外として国有に上地の結果となり、それ以後農商務省の主管する国有林野であつたが、そのうち静岡県駿東郡印野村字富士山南山二、八七八番地所在九三、四六一・一五平方米(二八、二七二坪)の土地(原判決添付目録第二)に限り、明治二二年一〇月御料林野に編入された。政府は官民有地の区分査定に当り、原則として境内外と認められた区域を再び社寺の境内に引戻すことを避ける方針をとり、明治二四年一一月二七日内務省訓令第一〇一六号で「社寺の境内地は官民有に不拘従来査定の区域は輙く変更せざる儀と心得べし」と定め、被控訴神社はやむなくそのままの状態に服しないことができなかつた。

併し、被控訴神社は明治三一年四月二日静岡県知事を通じて主務大臣あて富士山八合目以上の土地を被控訴神社の奥宮境内に決定せられるよう出願していたが、明治三二年法律第八五号国有林野法(同年七月一日施行)第三条第三項に「社寺上地にして其境内に必要なる風致林野は区域を画して社寺現境内に編入することを得」と定め、ここに社寺上地の国有林野に限り社寺の境内に編入できる道が開かれ、静岡県知事は右法に基づき明治三二年七月二八日被控訴神社に対し、農商務省の主管する静岡県富士山頂無番地所在の富士山八合目以上の土地を「浅間神社奥宮境内に確定の件聞届く」と指令し右区域は被控訴神社の境内と認められた。次いで、明治三三年一二月御料林野についても国有林野に準じて取扱うこととなり、明治三六年内務省訓令第五四七号「御料地中境内地として必要のもの引渡の件」が制定され、ここに「其の境内に必要なる風致林野」とは、「祭典、法要又は参詣道に必要なる箇所」や「歴史若くは古紀社伝等に於て社寺と密接の縁故ある箇所」をも含むと解されていた(明治三九年二月一七日農商務省内務省訓令林発第三号参照)。被控訴神社は昭和三年五月二九日御料林野の区域(原判決添付目録第二の土地)についても、境内編入の出願がなされ、昭和七年九月二九日境内と認められた。ここに被控訴神社の数十年にわたる念願は実現し、富士山八合目以上の土地は、その後、大正一〇年法律第四三号国有財産法第二条第二号に規定する「国において神社の用に供するものと決定したる」国有地すなわち公用財産となつた。この間、富士山が一般国民の愛敬する山として参拝登山者益々多く、被控訴神社の宗教活動並びに境内地管理方法はこれと相調和し、何等矛盾支障がないのみならず、富士山の名声を維持するためにも多大の貢献があつた。

以上の一、二の事実は法令の外、当事者間争のないところである。そして、奥宮境内地は明治四一年法律第二三号神社財産に関する件及び同年勅令第一七七号神社財産の登録に関する件にいう「神社財産」に該当しない。従つてその登録がなされてないことは、控訴人の明に争わないところである。

三、奥宮境内地の総坪数について、当事者間に成立に争のない甲第一六号証、同第五九号証、原審証人楠田英香の供述によつてその成立を認むべき同第一七号証の各記載に右証人の供述を総合すると、神社明細帳には一、一〇四、五八四坪と記載せられてあるが、実則は、原判決添付目録第一記載の土地は三、九五九、五二七・一〇平方米(一、一九七、七五六坪九合五勺)で当事者間争のない原判決添付目録第二記載の坪数を合算すると四、〇五二、九八八・二六平方米(一、二二六、〇二八坪九合五勺)であることが認定できる。

第二、昭和二二年法律第五三号制定の理由と同法第一条に定める「譲与」の意義

一、国有境内地は、その沿革上の理由に基づいて、大正一〇年法律第四三号国有財産法第二四条の規定により社寺の用に供する間無償で使用させ、次いで、昭和一四年宗教団体法の施行にともない同年法律第七八号並びに同年勅令第八九二号を制定して、寺院に対する境内地の譲与を認めることになつた。控訴人の主張するように右法令が寺院境内地に関して居り神社境内地に関してないことは明らかである。昭和憲法施行後この状態を継続することは、信教の自由に関する憲法第二〇条及び宗教団体に対する特別利益供与禁止に関する同第八九条に反することとなるので、政教分離を根本方針とする昭和憲法施行に際し、寺院に対しこの特殊関係を整備する必要にせまられ国の公用財産として取り扱われてきた神社境内地についても政教分離から国との関係を整備しなければならなかつた。国が社寺の右無償使用権を正当な補償を与えないで取り上げることは憲法第二九条に反する。財産権の保障と宗教団体に対する特別利益供与禁止に伴う財産整備の要請の調和のため、政府は昭和憲法施行の前日である昭和二二年五月二日に右法律第七八号及び勅令第八九二号を改正する形式で法律第五三号及び勅令第一九〇号を施行した(同年四月三〇日勅令第一八九号)。すなわち、社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律(昭和二二年法律第五三号により改正された昭和一四年法律第七八号)において、国有地である社寺等の境内地その他の附属地を無償貸付中の寺院等に譲与又は時価の半額で売り払うことにしたのは、昭和憲法施行に先立つて、明治初年に寺院等から無償で取上げて国有とした財産を、その社寺等に返還する処置を講じたのであつて、このように沿革上の理由に基く国有財産関係の整備は、憲法第八九条の趣旨に反しない。そして右法律附則第一〇条第二項の規定は、譲与又は売払の申請がなされている土地については、その譲与又は売払の日までは、なお旧国有財産法第二四条の規定の効力が存続し、無償貸付関係は継続する趣旨である(最高裁昭和三〇年(オ)第一六八号土地明渡請求事件同三三年一二月二四日大法廷判決、最高裁民事判例集第一二巻第一六号四〇頁参照)。従つて譲与の合憲性は右沿革上の理由に基づき憲法第二九条の財産権の保障と同法第八九条の宗教団体に対する特別利益供与禁止との調和が見出されるところにある。被控訴神社の主張するように国が実質的意味において昔社寺のものであつた土地を預り保管しておつたものでなく、この預りものを社寺に返還するというのではない。又控訴人の主張のように譲与を社寺等の自立自営に必要な範囲に限り、従来の特殊関係の清算のため新たな立法措置としてなされたとせまく解すべきでない。

そして右法律第五三号第一条の規定に基く譲与処分が覊束裁量処分であることは控訴人のこれを認めるところであつて、当裁判所も同様に解する。

第三、法律第五三号第一条及び勅令第一九〇号第一条該当の有無

富士山八合目以上の土地が明治初年の社寺上地、地租改正処分によつて、無償で国有に帰し、終戦後昭和二一年勅令第七一号により被控訴神社の用に供する間、同神社に無償貸付したものと看做されるに至つたことは、控訴人の認めて争わないところである。

従つて法律第五三号第一条第一項に定める要件のうち、被控訴神社の宗教活動を行うに必要な土地であるかどうかが、当事者間に激烈に争われている。

一、「宗教活動を行うのに必要なもの」の意義

(1) 法律第五三号が、昭和憲法の政教分離の根本原則に基づき宗教団体に対する特別利益供与を禁止したことの具体化として、国有境内地のうち「宗教活動を行うのに必要なもの」に限り譲与することにした。従つて同法律第一条にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」という要件は、宗教活動上必要なものは譲与し、そうでないものは譲与しないという意味で設けられた。それは収益財産だけを処分対象から排除する趣旨でないことは明白である。又宗教活動に関連がある土地等はすべて含むと広く解すべきでない。併し、「宗教活動を行うに必要なもの」ということを「その土地等を所有しなければ宗教活動の目的を達成することができないもの」と目的達成という語を加えて狭く解すべきでない。

(2) 控訴人の第三の一の(2)の所論は憲法第二九条の財産権の保障を無視するところで、無償貸付関係断絶の善後措置だからといつて、右保障を全然無視すべきでなく、その調和を求めなければならぬのであつて、この調和を無視して法律第五三条を理解することができないから、これを採用できない。

(3)  被控訴神社が主張するように「宗教活動を行うのに必要にして不可欠のもの」に限るというのは、勝手に「不可欠」の要素を加えるもので採用できない。被控訴神社の主張する当該社寺の本来的使用換言すれば固有の宗教目的に供される上地を包含する趣旨というのが、宗教活動の必要性を法文の字句より広める趣旨ならこれまた採用できない。

(4)  勅令第一九〇号第一条の文言には社寺の宗教活動に含まれない社寺又は社寺関係者の公益事業のための使用地を譲与の対象としている。このことが「宗教活動を行うのに必要なもの」を広義に解釈する根拠とならない。「宗教活動を行うのに必要なもの」の要件を広めたのでなくて、公益事業でも「宗教活動を行うのに必要なもの」という法律の規定する要件を具備する必要がある。公益事業のための使用地でも宗教活動上の必要性があれば譲与できるというに過ぎないからである。被控訴神社の第三の五の法律第五三号第三条の所論は同条が単に「譲与又は売払をする国有財産の範囲は、勅令でこれを定める」旨規定するに止まり、「宗教活動を行うのに必要なもの」の範囲を規定してないので、直ちにはこれを採用できない。

二、勅令第一九〇号第一条第一項と神体山

(1) 勅令第一九〇号第一条第一項第二号にいう「宗教上の儀式又は行事を行うために必要な土地」を社寺等の物的施設を構成する土地と解することはできない。物的施設に限定することは同条第一項第一号の「建物又は工作物」という文言と対照して第一号の場合だけであることが明らかであるからである。又右第二号を「社寺等が直接支配又は所有していなければ、儀式行事の目的を達成することができない土地」に限られるかどうかは、「宗教活動を行うのに必要な土地」をどう理解するかにかかつているのであつて、第二号その規定自体から「直接支配」又は「所有」の要件がでてくるのでない。従つて右第一条が対象とするものは主として社寺が祭典、法要、儀式、行事等を行うに必要な物的施設を構成する土地に限ることはできない。このことは第一条第一項第五号に「社寺等の尊厳を保持するため必要な土地」、第七号に「歴史又は古記等によつて社寺等に特別の由緒ある土地」と規定し、「物的施設」と限定してないことによつても明らかである。控訴人は富士山八合目以上の土地がいまだ国有である現在、被控訴神社の祭祀(開山祭、閉山祭)はそれがためにどのような障害があるかと主張するが、前述のとおり法律第五三号附則第一〇条第二項の規定によつて無償貸付関係が継続しているから障害がないのであるから、右主張は理由がない。

(2) 控訴人は富士山八合目以上の土地を被控訴神社の境内地に編入されたからといつて、これを宗教活動上必要なものということができないのであつて、境内地の範囲も時代と各法令の目的とによつて異る旨主張する。誠にそのとおりであるが、国が境内地に編入した事実は右勅令第一九〇号第一条の解釈にあたり全然無視することが誤りであること法律第五三号、右勅令の沿革を尊重する成立由来から考えて明かである。

(3) 富士山八合目以上の土地が被控訴神社の御神体を形成して、古来富士信仰の対象となつている事実、国が富士山八合目以上の土地を被控訴神社の境内地に編入した事実、及び他の「神体山」を「宗教活動を行うのに必要な土地」として譲与した行政実務処理があつた事実は、控訴人の自ら認めるところである。明治八年の「社寺境内外区画取調規則」、明治三九年の「国有林野法ニ依ル境内編入出願ノ際取扱方ノ件」、昭和一四年の宗教団体法施行令における境内地に関する規定と、昭和二二年の勅令第一九〇号の第一条第一項各号の規定とを対照しながら、控訴人の自認の前記事実に当事者間成立に争のない甲第三号証の二ないし六、第二四号証、第二五号証、第四〇号証の一、二、第四一号証、第四二号証、第五六号証の一ないし八、第五七号証の一ないし四の各記載と当審証人管貞好の供述、原審竝に当審における検証の結果とを彼是考え合せると、富士山八合目以上の土地が神体山として宗教活動に必要な土地であると認定できる。控訴人が富士山が他の神体山にくらべて有する特殊性を主張するが、譲与の範囲の制限にあたつて取り上げるべきで、右認定に影響する性質でない。被控訴神社は譲与申請にあたり、勅令第一九〇号第一条第一項のいずれに該当するかという点について、頂上を第一号に、その他を第二号にそれぞれ該当するとの見解を採つたというが、前記認定事実によれば、控訴人が譲与しなかつた土地は、第二号、第五号、第七号に該当すること明かである。

第四、国有存置の必要性について

一、勅令第一九〇号第二条の効力

勅令第一九〇号第二条は「法律第五三号第一条第一項及び第二条第一項に規定する国有財産で、国土保安その他公益上又は森林経営上国において特に必要があると認めるものは、国有として存置し、前条の規定にかかわらず、譲与又は売払をしない。」と規定する。

憲法第八九条前段は、憲法第二〇条と相俟つて国家と宗教との分離、信教の自由を保障することを目的とする。そして明治憲法では、勅令の定めた範囲は、昭和憲法で政令の定める範囲よりはるかに広く、勅令の内容が昭和憲法の内容に違反する場合に失効するが、違反しない場合には、昭和憲法のもとでそれに該当する法形式と同じ効力をもつ(憲法第九八条第一項)。法律第五三号及び勅令第一九〇号は、財産権の保障と宗教団体に対する特別利益供与禁止に伴う財産整備の要請の調和のため制定されたのであつて、勅令第一九〇号第二条国有存置の規定は憲法第八九条前段の宗教団体に対する特別利益供与禁止の趣旨を明確にしたので有効である。右に反する被控訴神社の右第二条の無効論を採用できない。

二、勅令第一九〇号第二条の「公益上」の必要性の意義

(1) 法律第五三号及び勅令第一九〇号は、財産権の保障の要請と宗教団体に対する特別利益供与禁止に伴う従来の社寺と国との間の財産整備の要請の調和のため制定されたのであるから、譲与及び国有存置の範囲は右の趣旨を逸脱すべきでない。従つて、勅令第一九〇号第二条は法律第五三号に対する例外規定だから、「公益上の必要」は現に存在する明白に具体的なものに限るべきであると解すべきでない。右第二条が法律第五三号の例外規定でないからである。又公益事業との関連において右「公益上の必要」を国家自らが管理するのでなければその目的を達することができないと特に制限的に解すべきでない。国益上必要があるとき、国有として存置することができるからである。宗教活動上の必要性と公益上の必要性とを単純に衡量して譲与すべきかどうかを決定すべきでない。前記憲法上の要請の調整の上に決定すべきであるからである。勅令第一条第一項第八号、第一条第二項が社寺又は社寺関係者が公益事業のために使用する土地をも譲与の対象に加えて、第二条に「前条の規定にかかわらず」と規定しておることからも明らかである。

第二条が「国土保安その他公益上」の必要の外に、「森林経営上」の必要を別に規定したことにより、控訴人は「公益上の必要」を広く解し、被控訴神社は国有存置の事由を厳格に狭く解すべきであると主張するが、第二条の公益が、一般の「公益」の意義より程度高く狭いことは右第一条第一項第八号、第二項が公益事業のために使用する土地を譲与の対象に加え、第二条に「前条の規定にかかわらず」と規定し、「国土保安」、「森林経営」を例示していることからうかがわれるが、第二条は憲法の祭政分離と財産権の保障の根本方針の調整として祭政分離の趣旨を生かすため、国益上必要があるときは、財産権の保障を生かし譲与する物件を固有として存置する旨規定したと解する。従つて、第二条にいう公益は祭政分離の趣旨を生かす「公益の普通の範囲」より「程度高く狭い公益」でまさに「国益」と解すべきである。この点に関する控訴人、被控訴神社のいずれの右主張をも採用できない。

三、国有存置事由該当の有無

(一)  国民感情について

日本国民が古来富士山を深く敬慕し、日本国土の象徴として渇仰し、国民全体の山としていることは、当裁判所に顕著なことである。右国民感情をただちに勅令第一九〇号第二条の「公益」に該当し、国有存置に該当すると解すべきでないが、「公益」を判断する一の要素であることは勿論である。

国益上国有存置すべきかどうかの判断にあたり、前記憲法上の二要請の調和の上に右国民感情を次に述べる公共の用に供する必要とともに考慮すべきである。

(二)  文化、観光その他公共の用に供することの必要について、

本訴は控訴人の昭和二七年一二月八日附行政処分が適法に行われたかどうかの判定を求める訴であるから、原則として先ず、右行政処分の行われた当時の国有存置の理由が判断の対象となる。例外として、行政処分がその後の法令の変更、行政庁の計画、その他によりその違法が明に治癒された場合、逆に適法が明に違法となつた場合には、その事由も口頭弁論終結時までは審理の対象となる。富士山が日本における最高の山として、景観、学術上自然状態を保護する必要と登山や科学研究の対象として公共の利用に供するための諸施設を整備する必要があること、その地域を国有に存置しておく方がその必要に応ずることができることは、控訴人の主張どおりである。はたして、この場合国において具体的計画を樹立すべき必要性が顕著であるかが、次に問題になる。被控訴人が各省庁公社の計画立案が簡単に変更されているかは、運輸省関係の計画立案が数度にわたり変更を見ているところからも、十分にうかがえる旨主張し、控訴人が国の諸種の計画に関する既往の説明内容について種々訂正を加えたことは自認するところであるので、誠に被控訴神社の主張を容認すべきように見える。併しこの訂正に関する不手際は、その事務にたづさわる者の未熟によるのであつて、このことから直に具体的計画の樹立の必要性がないと断定できないから、被控訴神社の右主張を排斥する。

(1) 厚生省関係

当事者間成立に争のない甲第一四号証の一ないし三、乙第三号証の一、二、第五号証の一、第八号証の一、二、第一〇号証、第一六号証の一、第二二号証の一ないし三の各記載、原審証人中西哲郎、森岡嘉昼、当審証人宮島剛の各供述に原審第二回検証及び当審検証の結果に被控訴神社の自認する富士山頂管理休憩舎(八八・三八坪)と便所(四・四坪)の敷地を現に公用に供している事実を綜合すると次の事実を認めることができる。

富士山頂八合目以上の地域は、富士箱根伊豆国立公園の核心で、宿泊、休憩、救急施設、便所等の諸設備はまだ不十分で、登山者内外の観光客に対し不便、不快の念を与えておる。これらの諸施設を速かに整え、自然公園としての風致を害なわないよう綿密な計画を実施する必要上危険防止及び衛生保持等の施設として面積の換算を除き控訴人主張のとおり次の土地を国有に存置する必要がある。

(イ) 厚生省の計画

防護壁 二基(別添第一図、A、B地区その敷地面積二八〇平方米(八四坪七合)

公衆便所 二ケ所(別添第一図にイwc、ロwcと記載されている地区)

イwcの公衆便所建坪一五八・六七平方米(四八坪)、敷地面積三一七・三五平方米(九六坪)

ロwcの公衆便所建坪一四五・四五平方米(四四坪)、敷地面積二九〇・九〇平方米(八八坪)

(ロ) 厚生省の既存施設である富士山頂管理休憩舎建坪二九二・一六平方米(八八坪三合八勺)、管理休憩舎に必要な土地一、五七七・〇九平方米(四七七坪七勺)(別添第4図)

(ハ) 周遊歩道延長三、四三〇米、巾員一米ないし三米、(別添第一〇の一、二、三)総面積六、六五〇・七五平方米(二、〇一一坪八合五勺)

右認定に反する当審証人渡辺英一、原審証人細川可賀、田村剛、中西哲郎、森岡嘉昼の各供述部分、原審における被控訴神社代表者第一回本人の尋問の結果は、前記証拠に照らし採用できない。甲第一八号証によると、昭和三二年八月二七日附文書に文化財保護委員会が富士山八合目以上を集団施設地区とすることに賛成できない旨記載のあることが認められ、国としては文化財保護委員会その他各省と協議し意見の調整をはかる必要のあることを自認しているが、このことから厚生省の右計画を樹立すべき必要性が顕著である事実を抹殺することはできない。従つてこの点に関する被控訴人の主張は理由がないとしてこれを排斥する。

(2) 運輸省関係

当事者成立に争のない乙第四号証の一、二、第一三号証、第一七号証、第一八号証の二、四、五、第一九号証の二の各記載、原審証人森岡嘉昼、当審証人渡辺栄六、柴田茂登雄の各供述、当審における検証の結果に被控訴人の自認する建物敷地が国有存置の要件を具備する事実を綜合すると、剣ケ峯の一〇〇坪、面積の換算を除き、控訴人主張のとおり次の土地を国有に存置する必要があると認定できる。

(イ) 海上保安庁関係

通信用局舎用地九九一・七三平方米(三〇〇坪)、空中線設備等(パラポラアンテ)二、三一四・〇四平方米(七〇〇坪)、配置線ケーブル等敷地六、六一一・五七平方米(二、〇〇〇坪)合計九、九一七・三五平方米(三、〇〇〇坪)(別添第5図)の用地を国有に存置する必要がある。ただしこれがため富士山八合目以上の土地全域までも国において具体的計画を樹立すべき必要性が顕著であるとして国有に存置する必要があると断定できない。

(ロ) 気象庁関係

A 富士山剣ケ峯所在測候所建物敷地(床面積)四四六・二〇平方米(一三四坪九合八勺)及び工作物の管理に必要な土地とアンテナ八基、地下燃料庫の敷地計三六・三六平方米(一一坪)の合計測候所敷地面積一、四八八・六四平方米(四五〇坪三合一勺)から被控訴神社に譲与した一〇〇坪を除いた一、一五八・〇七平方米(三五〇坪三合一勺)(別添第6図)

B 富士山頂東安の河原所在富士山測候所待避所建物敷地(床面積)二七五・五二平方米(八三坪三合四勺)、待避所敷地二、六七八・六四平方米(八一〇坪二合九勺)(別添第7、8図)

C 観測要員の交替道路及び待避所敷地

富士山八合目から東安の河原までの交替道路延長一、四〇〇米巾員一米待避所敷地四平方米五ケ所合計面積一、四二〇平方米(四二九坪五合五勺)

D 送電線埋設路敷地

富士山八合目から黒岩付近を経て東安の河原待避所及び銀明水横、奥宮裏、馬の背ハツトを経て山頂測候所までの土地、延長一、四五九米、巾員二米、敷地面積二、九一八平方米(八八二坪七合)(別添第9図)

E 大内院一五六、六九四・二一平方米(四七、四〇〇坪)のうち中央気象台観測所に必要な底地の三三〇・五七平方米(一〇〇坪)

右認定に反する原審証人押金武夫、森岡嘉昼の各供述部分は前記証拠に照らし採用しない。中央気象台長から被控訴神社に対し使用料を支払い土地を使用していたことが、国有存置することに必要な土地でないことにならないから、甲第一一号証の一ないし四は右認定の支障とならない。

(3) 文部省関係

当事者間成立に争のない乙第五号証の一、二、三、第九号証の各記載に原審証人細川可賀、当審証人吉川需の各供述の一部を綜合すると、文化財保護委員会は昭和二七年一〇月七日富士山を名勝に、同年一一月二二日特別名勝に指定し、文化財保護法第八七条第一項により、大蔵省に対し、所管換えを要望し、控訴人主張の方針を完全に遂行するため、富士山八合目以上の土地を国有として存置するのが適当である旨の意見を添えており、右所管換えについて大蔵省を含む関係各省でする協議は本件訴訟の係属中であることを考慮して、現在差控えたままになつていることが認めることができる。右適当であるというだけでは、前記の国民感情を加えても、国立公園法及び文化財保護法が国有主義をとつていない以上、いまだ国において具体的計画を樹立すべき必要性が顕著であるとして国有存置の事由があるとはいうことができない。控訴人は文化財保護法の規定から国有のものについては、文化保護委員会の同意を要することとし、名勝等は国有にしておくこと最も望ましい旨主張する。なるほど文化財保護法(昭和二五年五月三〇日法律第二一四号、同年八月一九日施行)第九一条は国有財産の譲与について文化財保護委員会の同意を求めなければならない旨規定するから、同条施行前に処分がなされていないものについては、その施行後同委員会の同意を要することになつた。従つて、法律第五三号により譲与すべき国有財産でも本件行政処分が取消された場合には、本件処分によつて生じた違法状態の排除によつてその処分がなされなかつたもとの状態を回復することになるから、文化財保護委員会の同意を要することになる。併し、同意を要することになつたことから、法律第五三号第一条の規定に基く処分が控訴人の認める覊束処分である性質を変更しないから、被控訴神社は依然として本件行政処分取消を求めることができる。本件行政処分が取消された場合文化財保護委員会の同意の上なされる譲与処分又は不同意の上なされる国有存置処分が適法かどうかは、文化財保護委員会の同意又は不同意があつた後にでなければ、判断できない。従つてこの点から譲与すべきか国有存置の理由があるかどうかは、右同意の手続完了後為すべきであつて、現在判断の時機でない。控訴人の右同意の規定から直ちに国有に存置すべしとする見解を採用できない。

(4) 日本電信電話公社関係

当事者間成立に争のない甲第一五号証の一ないし四、乙第六号証、第一四号証の一、二、第一九号証の一、二の各記載に当審証人渡辺栄六の供述に当審における検証の結果を綜合すると、面積の換算を除き、控訴人主張のとおり次の土地を固有に存置する必要があることが認定できる。(右認定に反する原審証人垣下俊治、森岡嘉昼、当審証人渡辺英一の各供述部分は右各証拠によつて採用できない。)

<1> 局舎敷地二、六七八・六四平方米(八〇坪二合九勺)現在の分室建物敷地面積(床面積)二七五・五二平方米(八三坪三合四勺)(これは前記気象庁関係のBと同一敷地)(別添第2図)

<2> 送電線埋設路敷地、富士山八合目から分室まで延長八五七米、巾二米、敷地面積一、七一四平方米(五一八坪四合九勺)(これは前記気象庁関係のDの敷地の一部である)(別添第9図)

電々公社は、公衆電気通信役務を提供するために作られた営造法人であつて、その事業を実施する場合でも、勅令第一九〇号第二条により国有に存置できると解する。同条の要件として国益上国有に存置する事由があれば十分であつて、国が自らその土地を使つて事業実施する必要がないからである。この点に関する被控訴神社の主張は採用できない。

(5) 道路関係

当事者間成立に争のない乙第二〇号証の一、二、第二一号証の一、二の各記載に当審における検証の結果を綜合すると、控訴人主張のとおり次の土地(別添第3図)を国有に存置する必要があることが認定できる。

<1> 足柄停車場富士公園線三、五四八・二五平方米(一、〇七三坪三合五勺)

<2> 富士公園太郎坊線二、三〇九・〇四平方米(六九八坪四合八勺)

<3> 富士宮富士公園線四、六五七・五〇平方米(一、四〇八坪九合)

<4> 富士吉田線<1>の足柄停車場富士公園線と同一

(以上の面積換算は、気象庁関係の分及び道路について、平方米により、その他については、坪数によりそれぞれ算出の基礎にした)。

以上の次第で、富士山八合目以上の土地一、二二六、〇二八坪九合五勺のうち東海財務局長が被控訴神社に譲与しないと決定した一、一七六、〇七六坪九合五勺の土地は右(1)厚生省関係、計九、一一六・〇九平方米(二、七五七坪六合一勺)、(2)運輸省関係、計一八、四二二・六三平方米(五、五七二坪八合四勺)、(4)日本電信電話公社関係(気象庁関係のBとDとに含まれる)、(5)道路関係、計一〇、五一四・七九平方米(三、一八〇坪七合三勺)を国有に存置すべき事由があるから、この部分総計三八、〇五三・五一平方米(一一、五一一坪一合八勺、但し、この坪数を平方米に換算すると三八、〇五三・四八平方米となる)を除き、その他の部分三、八四九、八〇四・一九平方米(一、一六四、五六五坪七合七勺)を違法として取消すべきである。

よつて、右と異る原判決は、右認定の範囲において変更し、訴訟費用について民事訴訟法第九六条、第九二条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 県宏 越川純吉 可知鴻平)

(別紙)

目録

厚生省関係

(イ) 厚生省の計画

防護壁 二基

(別添第一図、A、B地区その敷地面積二八〇平方米(八四坪七合))

公衆便所 二ケ所

(別添第一図にイWC、ロWCと記載されている地区)

イWCの公衆便所

建坪 一五八・六七平方米(四八坪)

敷地面積 三一七・三五平方米(九六坪)

ロWCの公衆便所

建坪 一四五・四五平方米(四四坪)

敷地面積 二九〇・九〇平方米(八八坪)

(ロ) 厚生省の既存施設である富士山頂管理休憩舎建坪二九二、一六平方米(八八坪三合八勺)、管理休憩舎に必要な土地一、五七七・〇九平方米(四七七坪七勺)

(ハ) 周遊歩道延長三、四三〇米、巾員一米ないし三米

総面積 六、六五〇・七五平方米(二、〇一一坪八合五勺)

運輸省関係

(イ) 海上保安庁関係

通信用局舎用地九九一・七三平方米(三〇〇坪)、空中線設備等(パラポラアンテナ)二、三一四・〇四平方米(七〇〇坪)、配置線ケーブル等敷地六、六一一・五七平方米(二、〇〇〇坪)合計九、九一七・三五平方米(三、〇〇〇坪)

(ロ) 気象庁関係

A 富士山剣ケ峯所在測候所建物敷地(床面積)四四六・二〇平方米(一三四坪九合八勺)及び工作物の管理に必要な土地とアンテナ八基、地下燃料庫の敷地計三六・三六平方米(一一坪)の合計測候所敷地面積一、四八八・六四平方米(四五〇坪三合一勺)から被控訴神社に譲与した一〇〇坪を除いた一、一五八・〇七平方米(三五〇坪三合一勺)

B 富士山頂東安の河原所在富士山測候所待避所建物敷地(床面積)二七五・五二平方米(八三坪三合四勺)、待避所敷地二、六七八・六四平方米(八一〇坪二合九勺)

C 観測要員の交替道路及び待避所敷地

富士山八合目から東安の河原までの交替道路延長一、四〇〇米巾員一米待避所敷地四平方米五ケ所

合計面積 一、四二〇平方米(四二九坪五合五勺)

D 送電線埋設路敷地

富士山八合目から黒岩付近を経て東安の河原待避所及び銀明水横、奥宮裏、馬の背ハツトを経て山頂測候所までの土地、延長一、四五九米、巾員二米、敷地面積二、九一八平方米(八八二坪七合)

E 大内院一五六、六九四・二一平方米(四七、四〇〇坪)のうち中央気象台観測所に必要な底地の三三〇・五七平方米(一〇〇坪)

日本電信電話公社関係

<1> 局舎敷地二、六七八・六四平方米(八一〇坪二合九勺)現在の分室建物敷地面積(床面積)二七五・五二平方米(八三坪三合四勺)(これは気象庁関係のBと同一敷地)

<2> 送電線埋設路敷地、富士山八合目から分室まで延長八五七米、巾員二米、敷地面積一、七一四平方米(五一八坪四合九勺)(これは前記気象庁関係のDの敷地の一部である)

道路関係

<1> 足柄停車場富士公園線

三、五四八・二五平方米(一、〇七三坪三合五勺)

<2> 富士公園太郎坊線

二、三〇九・〇四平方米(六九八坪四合八勺)

<3> 富士宮富士公園線

四、六五七・五〇平方米(一、四〇八坪九合)

<4> 富士上吉田線

<1>の足柄停車場富士公園線と同一

(以上の面積換算は、気象庁関係の分及び道路について、平方米によりその他については坪数によりそれぞれ算出の基礎にした。)

(別紙第一図―第九図省略)

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